お出かけ日記ANNEX

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3/21(土) 濃厚!大人の広島平和学習の旅 2日目~その1~

 朝は7:00に起床。昨夜遅くまで赤とんぼでダラダラとした割にはスッキリと目覚めて、朝ごはんを食べに出かけます。
 2月に広島に来たときに気に入った、中町の日の出鮨 ありあけへ彼を連れて行くと、魚介類大好きな彼は大満足。そして、朝から飲む日本酒にも大満足。冷たい酒が体にしみ込んでいくうちに、体の隅々まで目覚めさせてくれるのです(注.意見には個人差があります)。




 朝食の後は、腹ごなしに中央通りまで歩いて、三川町の交差点を渡ったところから、旭町行きの赤バスに乗ります。


 今回の旅にあたって、彼はお父さんからテーマを与えられていました。それは、広島が原爆の投下目標となった理由を学んでこいというもの。そして、広島が陸軍の拠点であったこと、天皇が広島にいたころがあること、捕虜収容所がなかったこと、それらを探ってくるように言われたそうです。
 広島の人間でも、そこまでちゃんとわかっているのは、よほど勉強したことがある人でしょう。思わず、
「お父さん、広島の人?」
と聞いてしまったほどです。
 当時、広島には捕虜収容所としては存在しなかったものの、アメリカ人捕虜は市内にいて、原爆の犠牲になったことがわかっています。バラク・オバマ氏が大統領として広島を訪れた時のスピーチでも、捕虜の存在について触れています。
 それ以外のことについては、広島に残る痕跡を辿りながら考えていく、それを2日目の平和学習のテーマにしました。
 まずは、軍都としての広島の痕跡から。出汐町で降りて国道2号線を渡り、赤レンガ造りの倉庫が連なるのを見てもらおうと思ったのですが、彼はそれよりも、広島皆実の4文字が目に入ったようです。


「おおっ! 広島皆実のグラウンドはここか!」
 高校時代はサッカー部だったという彼にとって、広島皆実高校といえばサッカーの強豪校の一つ。そこを訪れたということも、旅のアクセントになったことでしょう。


 赤レンガの倉庫は、陸軍被服支廠の一部です。大正時代に建てられた赤レンガ造りの倉庫は、原爆で歪んだ鉄扉を雨風にさらしながら、今もその威容を誇っていました。それが3棟連なる道を歩いていると、当時の敷地の大きさを垣間見ることができます。
 広島には中国軍管区司令部が置かれただけでなく、軍港があり、軍の工場もありました。
「ほら、あそこに日の丸が揚がっているでしょう」
と、比治山の陸軍墓地を指差します。広島は当時、軍隊の街であったことは間違いありません。
 2号線を再び渡り、大学病院前に出て、まっすぐに延びる道路を見せながら、
「この道、何か特別な感じがしない?」
と、某公共放送のお散歩番組のように問いかけてみました。ここは、日清戦争のときに軍事専用線として建設された、後の国鉄宇品線廃線跡。彼はしばらく歩きながら考えて、線路があった場所だと気づいたようです。街を歩くとき、ふと何かの違いに気づくことができると、多くのことを発見することができます。それはまるで、宝さがしのように楽しいものです。


 イオン広島段原ショッピングセンターの脇から、比治山スカイウォークで比治山に上がります。雲霓橋から現代美術館前のムーアの広場にまわると、きれいに木が刈られていて、市の中心部方向が眺められるようになっていましたが、高いビルが増えて景色もずいぶん変わった印象です。


 次に、現代美術館を回り込んで、御便殿跡へ案内しました。


 御便殿といっても、何のことかわからない方も多いことでしょう。1894年(明治27年)8月、日清戦争が始まり、広島に大本営が設置されます。帝国議会も広島で開かれ、明治天皇の行在所(休憩所)として建てられたものが比治山に移築されました。これが御便殿です。
 しかし、御便殿は原爆により全壊し、今では御便殿という言葉さえ残っているのかどうかも怪しいところです。
 広島に天皇がいたということ。それはつまり、広島が重要な街であったということに他なりません。
 彼のお父さんに私はお会いしたことがないのですが、なかなか息子に学ばせるのが上手な方のようです。ガイドブック通りに見て回る旅では気づかないその街の本当の姿を、ちゃんと意識させることができる。もしかしたら、今回私が平和教育についてあれこれ考えなくても、彼はお父さんからの課題を解く中で、多くのことを学んだかもしれません。
 比治山神社の脇に下りて、比治山下の電停へ。今日の平和学習は、これでおしまい。ということは、あとは打ち上げです。時刻はまだ10時前。ですが、広島には午前中から開いている呑兵衛の聖地、源蔵本店があります。


 猿猴橋町で降りて店の前まで行ってみると、シャッターが閉まっていました。
「またか!」
 2月に来たときも休みで、今回も休み。なんということでしょう。定休日でもないのに2回もフラれるとは。源蔵は遠くにありて思ふもの、といったところでしょうか。
 けれど、そんなことでへこたれる我々ではありません。
「今乗った電車賃は無駄になるけど、バスセンターの源蔵へ行くぞ」
 そこに酒があるとわかれば、どうやってでも行く。ちいたろう軍団は再び電車に乗って、紙屋町を目指したのでした。