お出かけ日記ANNEX

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9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その3~

 四国八十八ヶ所霊場のうち、関所とされる札所が4か所あります。そのうちの一つが、66番雲辺寺です。

 国道32号線の長いトンネルを抜けると、徳島県に入ります。雲辺寺讃岐国の札所ですが、所在地でいうと徳島県になるのです。県道6号線の山道を駆け上ると、久し振りに四国らしさが感じられます。

 ここは、寺までのロープウェイが通じているほどの難所の一つなのですが、同じくロープウェイが通じている21番太龍寺と同様に、山道を登っても行くことができます。ロープウェイの運賃は、大人往復2,200円。こちらも太龍寺と同様、なかなかのお値段です。

 先ほどから降り出した雨は、寺へ続く細い道を登っていっても、止む気配はありません。

「いよいよ、傘を差してのお詣りか……」

 8月のお遍路旅では、一度も傘を差さずに回ることができましたが、この天気では仕方がありません。傘を差してのお遍路を覚悟することにします。

 駐車場に車を停めると、まさに雲辺寺、山のへりに雲がかかっているのが見えます。雲がすぐそこにかかっていて、手が届きそうです。こういった天気のときに来ることができたのは、むしろラッキーだったかもしれません。

 雨が降っていないわけではありませんが、傘を差すほどではありません。念のため、傘を持って寺へと向かうことにします。

 歩いていくと、道の途中に小屋が立っていました。そこは、協力費徴収所。ここを通るには、補修協力費を払うしかありません。言われた通り、500円を納めると、お箸をいただきました。

 さらに進んで立派な仁王門をくぐり、真新しい石段を上がっていくと、大師堂の前に出ました。お堂の前には、マニ車という、お経が彫られた石の筒がありました。

マニ車といえば、現金輸送車だよなぁ……」

 貨物列車の型式をついつい思い浮かべてしまうのは、子どもの頃、鉄道に興味をもっていたせいでしょう。

 実際に回してみると、石のマニ車はずいぶんと重たく感じました。回すことで、お経を一巻唱えるのと同じ功徳が得られるというのですから、簡単に回ってしまっては有難みがありません。

 お詣りをしているうちに、少しだけ雨が顔に当たるようになりましたが、まだ傘のお世話になるほどではなありません。いや、傘を差してもよかったのかもしれませんが、なんだか負けを認めたような気がしたので、そのまま駐車場まで傘を差さずに戻ったのでした。

 次の67番大興寺へ向かうために山道を下っていくと、分かれ道がありました。片方は、来るときに上ってきた道。もう片方は、まだ行ったことのない道。それなら迷わず、通っていない道を選ぶ、それが私のやり方です。

 選んだ道を進んでいくと、この道がなかなかのすごい道。歩道というには広く、車道というには狭いといった道なのです。まるで、公園の中の通路といった感じです。幸運にも、反対側から来る車はありませんでしたが、対向車が来たらどうしようかと常に考えながら走るのが四国の道なのです。

 県境の尾根をなぞるように走る道を抜けると、県道8号線に出ました。センターラインはないものの、対向車とすれ違える道だとペースも上がります。これも、四国の道。苦しい道ばかりでなく、走って楽しい道もたくさんあるのです。

 11:36、大興寺に到着。仁王門の向かいには、お地蔵さまでしょうか。田んぼのそばに、仏さまが立っていて、いかにも日本の原風景といった風情です。

 苔むした石段を上る途中にあるカヤとクスは、弘法大師のお手植えだと伝えられているそうです。

 しかし、この弘法大師という方のお手植えの木々や、一夜にしてお堂を建立したという話があちこちにあるのはおもしろいところ。本当かどうかというよりも、書物もないような古い時代の人がその伝説を大切にし、後世の人々にも弘法大師への尊崇の念を受け継いできたことはすごいことだと思うのです。

 本堂に向かうと、私の前に参拝していたご婦人が、「熱いっ!」と叫びました。どうやら、線香に手が近づいたか、当たったかしたようです。ご夫婦らしく、そのままお二人でその場を離れたので、大丈夫だとは思うのですが、私も、線香を香炉に立てるとき、いつも火傷をしないかとドキドキするのでした。

 そろそろお昼も近いので、次の札所である観音寺そばにあるうどんやさんに行くことにします。寺の手前に柳川製麺所というところがあるらしいことは調べてあったので行ってみると、店の周りは古い街並みで、細い道が入り組んでいます。こういったとき、軽自動車でよかったと思うのです。

 柳川製麺所は、店構えだけでなく店の中もレトロで、いかにも昔の食堂といった雰囲気です。中に入ると、狭い店内のテーブルで家族連れがうどんをすすっています。もうこの時点で、この店が気に入ってしまいました。

 さすがは製麺所。店の奥には作業場のようなものが見えます。そこからそのまま麺が運ばれてきて、厨房で茹でられたものがすぐに提供される。うどん好きにはたまりません。

 かけうどんを注文すると、先ほどの山内うどんと同じく、塩味よりもうま味や甘みといったものを感じる出汁が素晴らしい。細めのうどんは、のどごしが最高で、一杯では物足りなく感じるほど。特別なところは何ひとつないのに、そのバランスは店によって違います。それが店の個性であり、うどん県の魅力なのだと思うのでした。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その2~

 郷照寺から県道に出たところに、こだわり麺や宇多津店がありました。チェーン店ですが、この時間から開いているのはありがたい。せっかく香川に来たのです。やはり、うどんを食べなくては始まりません。


 しょうゆうどんを注文すると、290円。薬味は載せ放題で、生のすだちも用意されているではありませんか。当然、うどんは美味しいのですから、さすがはうどん県と唸るほかありません。


 店内には、「価格改定のお知らせ」が貼られていました。原材料の値上げにより、9/16から値上げとなるようです。その値上げ幅は、うどん全品10円とのこと。それでも安い。つくづく、うどん県の食文化がうらやましくなります。


 次の札所、79番天皇寺を目指して県道33号線を走っていると、フロントガラスに雨粒がつくようになりました。先月、四国を回ったときは、毎日晴天続きで傘を使わずに済んだので、今回もできれば傘を使わずにまわりたいところです。
 天皇寺に着くと、寺の入り口に鳥居が立っています。三輪鳥居という、明神鳥居の両脇に鳥居を持つ珍しい作りです。後で調べると、この鳥居のくぐり方というのがあったらしいのですが、そこまで調べていなかった私。恭しく、敬意を払って鳥居をくぐることにします。


 というのも、ここ79番天皇寺高照院は、水曜どうでしょうファンにはおなじみの曰く付きの札所。怪奇現象が起きた場所として有名です。失礼があってはなりません。
 鳥居をくぐって正面には、崇徳天皇を祀る白峰宮が鎮座しています。この神社の建物に対して、天皇寺の方の本堂と大師堂は、ずいぶんと小ぢんまりとしているのです。


「不思議なお寺だなぁ……」
 当然のことながら、何ら怪奇現象も起きることなく無事に納経していただき、次の札所へと向かうことにします。
 80番国分寺は、四国の阿波、土佐、伊予のそれぞれの国分寺と同じく、四国八十八ヶ所霊場の一つになっています。4か国目の国分寺ですが、伊予国国分寺はまだ訪れていないので、達成感はありません。


 仁王門を入ると、本堂までまっすぐに道が続いていました。さすがは国分寺といった風格を感じる佇まいです。しかし、最盛期の国分寺はこんなものではなく、巨大な金堂や、京都東寺の五重塔よりも高かったと推定される七重塔があったと考えられています。昔の国分寺は、ただのお遍路の札所でなく、社会の中心であったはずなのです。


 しかし、学校で習う歴史は、宗教の部分はずいぶんと削ぎ落とされてしまっているように思います。宗教的に中立というのは大切なことではあるのかもしれませんが、日本史にしろ世界史にしろ、歴史上の出来事や時代の流れを理解するうえで、特定の宗教の影響力を無視することはできないのです。


 本堂へお詣りした後、大師堂へ向かいます。ここの大師堂は、納経所とセットになっているようです。大師堂の前で掃除をしていた女性にあいさつをすると、
「ご用があったら呼んでください」
とおっしゃったので、お詣りを終えてから納経をお願いすることにします。どこの札所でも、このコロナ禍でお遍路さんが少ないのか、納経所でお遍路さんを待ち構えているというよりは、札所の人を呼ぶといったことが多いような気がします。
 ともあれ、寺巡りはいったんお休み。せっかく四国うどん県に来たのですから、うどんやさん巡りもしてみたいところです。国分寺の近くには、がもううどんという有名店があるのですが、本日日曜日はあいにく定休日。次に行く予定の札所、66番雲辺寺までの途中にも有名店の山越うどんがありますが、こちらも定休日です。
「どこかにうどんやさんはないかなぁ……」
ツーリングマップルで探してみると、山内うどんというお伊勢が見つかりました。早速、カーナビに住所を入力し、向かってみたのですが、現地近くに着くと、駐車場は見つかったものの、店らしき建物が見当たりません。
「なくなってしまったのかなぁ……」
 そう思っていると、林の中を登っていく細い道を登っていく車があるではありませんか。
「そこか!」
 こうして、山の中の小さなうどんやさんに出会うことができたのでした。


 店の外には、薪が山積みになっています。県観光協会のサイトで調べると、「薪で焚き、おいしい水で締めるうどんと、特製のイリコダシが絶品だ。」と書いてありました。


 かけは、あつあつ、ひやあつ、ひやひやの3種類。まるで合言葉のように、並んだ客がお店の人に伝えます。私はあつあつ(小)を注文。海老の入った天ぷらが美味しそうだったので、それも注文してみました。


 まずは、透き通った出汁をひと口いただきます。
「う、うまい……」
 出汁は塩辛さがなく、甘みすら感じます。できれば、これだけ湯呑みに入れていただきたいくらいです。うどんに対して出汁が少ないんじゃないか、もっと入れてくれと言いたくなるくらい、確かに絶品です。
 そして、うどんがまたうまい。小麦のうま味というのでしょうか。嫌な味が一つもしないのです。
 余計なものは何もない、シンプルなうどん。しかし、それだけで十分にうまいと感じさせるこの一品。うどん県にはまだまだうまいうどんがあることに気づかされた瞬間でした。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その1~

 レストイン多賀の仮眠室で目が覚めたのは、午前2時頃。まだ完全に目覚めていない体を湯船に沈め、気合いを入れます。ロッカーの鍵を返そうとすると、フロントの男性はマスクを外して休んでいたのか、私が行くと慌ててマスクを着用していました。6時間までの休憩時間内だったので、追加料金もなく、2:30頃、深夜の名神高速道路へと走りだします。
 昼間と違って、うんと交通量の少ない高速道路を進みます。大型トラックを1台、また1台と追い越していくのですが、周りが暗くて何も見えないせいか、なんだかゲームの中の世界のようで、いまひとつ現実感がありません。でも、この時間に誰かがトラックを運転して、日本中に荷物を届けていることで、私たちの日常生活は成り立っているのです。
 高槻JCTから新名神へ入ります。ここから先は、私がこの愛車を買った時はまだ開通していなかったので、カーナビは山の中の何もないところを突き進んでいきます。真新しいとても明るいトンネルの中は、減速しないようにという工夫なのでしょう。緑色の明かりが、私が進むのと同じ方向へ流れていきます。しかし、変化のない道は眠たくなるものです。たまらず、3:42、宝塚北SAに逃げ込みました。


 トイレの前に、全国を駆け巡るWILLER EXPRESSのバスが停まっていました。こんな時間にトイレに行くのは大変だろうと思いながら、あのバスの乗客たちがやっていることは私とまったく同じなのではないかと思うと、つい苦笑いをしてしまうのでした。
 さらに先に進むのですが、山陽道に入ると、再び睡魔が襲ってきました。暗闇が延々と続く中の道をひたすら進むという単調な作業をこなすだけの強靭な集中力など、今の私には持ち合わせていません。
 高速道路では、50kmごとにSA、10kmごとにPAが設置されていると聞きますが、次のPAまでの10kmさえ、とてつもなく遠い距離に思えてきます。
 4:30頃、どうにか白鳥PAに滑り込みました。車を停めてシートを倒し、「間に合った……」と思ったのも束の間、すぐに眠ってしまったようです。飲酒運転は自分の意志で防ぐことができますが、居眠り運転を防ぐには、自分の意志にも限界があります。眠気の解消のためには、やはり眠ってしまうのが一番効果的なのです。


 20分ほど眠っていたでしょうか。夢の中でも、私はPAで休憩をしていました。隣に止まった車の子どもたちがトイレに行きたいと大騒ぎする夢から覚めると、周りにはそんな車もなければ子どもたちもおらず、夜明け前の静けさの中に私の車だけが一台、停まっていたのでした。
 眠気はすっきりと解消され、PA内のコンビニエンスストアでコーヒーを買い、再び出発です。
 白鳥PAを出ると、少しずつ空が明るくなってきました。雲が多く、天気がいいとまでは言えませんが、まずまずといったところです。
 倉敷JCTから瀬戸中央道に入り、先月も渡った瀬戸大橋を目指します。
 6:05。瀬戸大橋の途中にある与島PAに立ち寄ります。展望広場に向かう道のところで、大きなキノコが生えているのに気づきました。こんなものがあれば、見つけた子どもが取ったり踏んだりしそうなものですが、こうして残っているということは、コロナ禍による外出自粛の影響で、この夏ここに来る子どもが少なかったということでしょうか。それとも、昔の子どもたちのように、最近の子どもたちはその辺のキノコを採って遊ぶなんていうことをしないのでしょうか。ともあれ、瀬戸大橋をバックにパチリ。いよいよ四国は目の前です。

 坂出北ICで降りて、県道33号線へ。最初に訪れたのは、78番郷照寺です。
7時前、山門前に着くと、ミニバンが1台停まっていました。山門はシャッターが閉まっていて、中には入れないようです。
「しまった。まだ早かったか」
 引き返して、先にうどん屋さんを探しに行こうとしたのですが、ギアをバックに入れたところで、後ろから軽トラックがやってくるのが見えました。これでは後ろに下がることができません。
「万事休す、か……」
と思っていると、軽トラックから運転手が降りてきて、「寺を開けるので通してほしい」と言うではありませんか。やった! 一番乗りだ!


 瀬戸大橋を望む絶景とうたわれる郷照寺の境内から海の方を見やると、白っぽい曇り空に溶け込むように瀬戸大橋が架かっているのがわかります。青空ならもっと気持ちがよかったはずですが、雨が降っていないだけでも御の字です。


 納経所へ向かうと、先ほどの軽トラックのおじさんがいました。私の車のナンバーを見ていたようで、
「東京からですか?」
と声を掛けられ、最後は、
「お気をつけて」
と送り出されました。
 特別なことはなに一つありません。地元の車ではない人に、お気をつけてと声を掛ける。ただ、それだけのこと。でも、それだけのことがありがたいと感じられるのは、夏のお遍路の旅で感じることができた旅の喜びの一つなのです。今回もひと寺ずつ、旅ができることの幸せを噛みしめながら巡っていくことにします。

9/11(土) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅1日目~その2~

 前回の夏の旅では、淡路島で1泊してから四国に上陸しました。しかし今回は一気に四国まで走るつもりです。2日かけた行程を1日で走ってしまおうというのですから、何よりも安全が最優先。無事に辿り着けなければ何の意味もありません。
 トラックや長距離バスのドライバーは、高速道路では2時間ごとの休憩を取るよう決められているそうです。プロのドライバーでさえそうなのですから、素人の私にそれ以上の無理ができるはずがありません。仮にやったとしても、それはそのまま危険に直結するはずです。私もこの先、2時間を目安に休憩を取っていくことにします。
 次の休憩地は、清水PAに決めました。2時間ごとの休憩ルールだとまだ先に進めるのですが、これ以上走ると施設への到着が20時を過ぎてしまいます。今はコロナ禍。静岡県も緊急事態宣言の対象地域なので、20時を過ぎて飲食店が閉まるのは高速道路上も例外ではないのです。
 19:16、清水PAに到着。施設の中はショッピングモールのフードコートのようです。便利ではあるのですが、イマイチ旅気分が盛り上がりません。それぞれのお店のメニューを見ても、どこかのショッピングモールで食べられそうな気がしてしまうのです。


 そんな中で、なんとなく静岡っぽさを求めてしらす丼を注文してみました。普段、しらす丼など選ばないのですが、これが意外に美味しい。味の濃すぎないタレが、しらすのうま味を引き立てます。白いごはんとの相性も良く、あっという間に平らげてしまいました。


 再び新東名を走ります。トンネルを抜け、真っ暗な道をひたすら進む。それの繰り返しは、なんとも退屈です。速く走れるのはいいのですが、面白みに欠ける印象です。
 次の休憩地に選んだのは、岡崎SA。到着したのは20:59で、またも2時間ルールからするとまだ余裕があるのですが、私の愛車はガソリンタンクが小さいのか、以前、大阪から東京まで無給油で走ってヒヤヒヤした覚えがあるので、給油も兼ねての休憩をすることにします。


 新東名の施設は上下線どちらからも利用できる集約型ばかり。あっちの車線の店が良かったということがないのは精神衛生上、大変好ましいことです。SAではこの時期の味覚、栗きんとん(新杵堂)を見つけて購入し、職場のみんなで食べることにします。ついでに、コンビニエンスストアが入っているのも嬉しいところ。100円のホットコーヒーで生き返ります。


 その先は、夜の高速道路をひたすら走ります。名神新名神、それぞれの所要時間の表示がありました。それを見れば、明らかに名神経由より新名神経由の方が早いのですが、今夜は名神の多賀SAにある宿泊施設、レストイン多賀を利用するつもりなのです。
 高速道路上で泊まれる施設は全国にいくつかありますが、このレストイン多賀は、入浴だけでも利用が可能な施設です。しかも、850円出せば入浴と6時間までの休憩ができ、さらに仮眠室も用意されているという、貧乏旅行にはうってつけの施設なのです。
 名神高速の集中工事の影響で、岐阜のあたりで車線規制となりスピードが落ちたものの、夜も10時を過ぎると車もだいぶ少なくなっていて、渋滞するほどではありません。しかし、大型トラックがいると流れが悪くなります。大型トラックの制限速度は80km/hなのに加え、どうやら速度が出せないようにリミッターがついているらしいのです。
 大型トラックの追突で起きた重大事故のことを考えると、それも致し方ないことなのかとも思いますが、最高速度を80km/hに制限すれば事故が防げるのかといえば、個人的には疑問です。スピードの差がある乗り物が同じ道路を走っているということの方が危険だと思うのは私だけでしょうか。
 もっと言えば、80km/hの車線と100km/hの車線がきちんと分かれていて、追い越し車線が機能していれば問題ないのです。しかし、右側の追い越し車線走る遅い車は、全国どこの高速道路でも見かけます。そして、追い越し車線をそのまま走っている車も少なくありません。ここはやはり、大型トラックを悪者にするのでなく、きちんとした走り方を徹底しなければ解決しないように思います。


 多賀SAに着いたのは、22:52。奥に建つレストイン多賀の前に駐車して、施設の中へ入ります。2階に上がり、チケットを買ってフロントに出すと、分単位で退場時刻を告げられ、
「それを過ぎると、もう一度850円かかります」
と言われました。時刻が書かれた紙がもらえるわけでもなく、覚えたりメモしたりする暇もありません。あくまで自己責任ということらしいのです。
 ともあれ、まずは入浴。ずっと座りっぱなしだった体が、湯の中でほぐれていくようです。脱衣場の奥の仮眠室では、すでに誰かの静かないびきが聴こえてきます。四国まではまだ、300kmほどあるでしょうか。先はまだまだ長いので、私も休むことにしたのでした。

9/11(土) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅1日目~その1~

 緊急事態宣言が9月末までさらに延長となり、街にも閉塞感が漂っていました。テレビや新聞では、暗く重たいニュースばかりが流れています。いろいろ八方塞がりだと感じながら毎日を過ごしていると、すべてをかなぐり捨ててどこかへふらりと出かけたくなるものです。

 元々は、9月の休日を使って、飛行機で四国のお遍路の続きをするつもりでした。しかし、緊急事態宣言の延長に伴い、泣く泣くキャンセルしたのです。現在の感染状況を考えれば、「週末に飛行機で四国に行ってきた」とは言いにくいところ。しかし、自分の車で行くのであれば、少しは感染対策ができるかもしれません。

「こうなったら、四国へでも行ってしまうか」

 北海道や沖縄、海外とは違い、四国なら橋でつながっています。ちょうど土・日・月と3日間が使える週末。

「四国まで辿り着けなかったら、途中で戻ってくればいいや」

という軽い考えで、車で四国を目指してみることにし、14:30頃、自宅を出発しました。

 ところが、車で20分ほど走ったところで、自宅にお風呂セットを忘れてきたことに気づきました。ここから取りに戻ると、少なくとも往復で40分のロスとなります。

「戻るべきか、行くべきか……」

 結局、40分がもったいないと思い、どこかで購入しようと考えて先へ進むことにしました。

 ようやくこれが大きな間違いだということに気づいたのは、都心部に近づいていたとき。自宅に戻らないのであれば、40分以内で店を探して、買い物を済ませ、元のルートに戻らなければならないのです。しかも、それは高速道路に乗るまでに完遂しなければならないミッションなのです。

 地方や郊外ならまだしも、自宅から東名か首都高の入り口までの間に、道路沿いに広い駐車場があって、レジにもあまり並ばず、確実にお風呂セットが手に入る店など、あるわけがありません。気づいたときには、時すでに遅し。後は、都心部から離れた住宅地が広がるあたりまで出るか、川崎や横浜の郊外を目指すしかなさそうです。

 ふと、大田区大森駅近くにイトーヨーカドーがあったことを思い出して向かったのですが、うっかりイトーヨーカドーの手前で曲がってしまいました。ぐるりともう一度回るのも面倒で、そのまま先へ行くことにします。

「そういや、東邦医大の近くにお店があったなぁ……」

 マチノマ大森の中のダイソーでどうにかお風呂セットを買い揃えた時には、40分どころのロスではなくなっていました。さらに、その中の入っていたマツモトキヨシで石鹸を買おうとすると、レジは長蛇の列。急いては事を仕損じるということなのでしょう。

 東名東京ICを目指して蒲田から環八に入ったものの、道路がとても混んでいます。すぐそこに見えている交差点を渡るのに、2回も3回も信号待ちをしなければなりません。それが、1か所では済まないのです。土曜の夕方、みんなどこへ向かっているのでしょう。私のように、東名高速を目指している車ばかりではないはずです。

 途中でコンビニエンスストアに寄ってノンアルコールビールを購入し、100円で購入した保冷バックに入れておきます。この先のSAで買うあじの唐揚げと一緒にいただく予定なのです。

 結局、東京ICから東名に入ったのは、自宅から3時間もかかった18時前。こんなことなら、40分をケチらずに自宅に戻り、首都高に乗れば良かったと思うのですが、それも後の祭り。自分の選択の結果なのですから、黙って受け入れることにします。

 雲の合間にオレンジ色を散らしたような夕焼け空に向かってひたすら走っていきたいところですが、流れはあまりよくありません。渋滞しているとまでは言えないものの、車列の速度が一定でなかったり、遅い車がいつまでも右側車線を走っていたりして、すこぶる走りにくいのです。

 それでも、18:05に海老名SAに到着。いつもは午前中に来るからそう思うのかもしれませんが、夕方の下りの海老名SAはガラガラで寂しい限りです。かろうじて仲間とどこかに出かけるらしい若者のグループが談笑しているのを見ると、どこかホッとします。以前はいくらでも見られた光景ですが、コロナ禍ですっかり見られなくなってしまいました。

 ともあれ、東名高速を走るときのお楽しみ、あじの唐揚げを買い求めます。これが、なんともビールが欲しくなる味なのです。しお味の他に、期間限定というわさび醤油味を買い求めます。お店の方が「すぐ食べられますか?」と言って、奥からまだ温かい揚げたてのものを出して、紙袋に入れてくれました。

 車に戻り、ノンアルコールビールとともに頭からかぶりつきます。程よい油っぽさがあじの魚臭さをうまく中和して、何匹でも食べられそうです。この瞬間に、東名を走っているんだと強く実感します。

 御殿場JCTからは新東名に入ります。あたりはすっかり暗くなり、周りに何もない新東名を走っていると、見えるのは道路とそこを走る車ばかり。その車も、うんと少なくなりました。法定速度の120km/hで気持ち良く走ることができます。

「このまま、どこまでも走れるんじゃないかな」

 そんなことを考えながら、先へ先へと走っていくのでした。

8/9(月・祝) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅10日目【完】

 朝から雨が降っていて、ホテルの部屋の窓には雨粒がついていました。
 7:00にホテルをチェックアウト。本当は朝からやっている温泉銭湯に行こうかと話していたのですが、私の後にチェックアウトしてきたけいぴゃんは、すでに今日のライブの衣装を着ているとのこと。それならこのまま、直接東京まで行ってしまいましょう。
 国道20号線に入ると、雨が強くなってきました。いわゆる土砂降りといったレベルです。台風10号は去ったものの、次の台風9号を取り巻く雲が通過するのが影響しているのかもしれません。
「さすがの晴れ女けいぴゃんも、台風には勝てないか……」
 ガソリンスタンドで給油をしていると、スーパーカブが入ってきました。ライダーは当然カッパを着ているのですが、こんな雨の中を走るとは、かなりのガッツです。
 こう雨が強いと、車から降りるのが億劫になります。朝ごはんをまだ食べていないのに、このまま中央道に乗ってしまおうかとさえ考えてしまうほどです。
 すると、少しずつ雨が弱まってきました。なんということでしょう。チャンスタイムとばかりに、コンビニエンスストアで朝ごはんを買い込みます。
「よし。東京へ行くぞ!」
 一宮御坂ICから中央道へ上がります。旅行から戻ってきて、羽田空港や成田空港、東京駅など、いわゆる東京の玄関口に着くと、そこで旅が終わってしまったような気がします。それと同じで、いつも通っている道まで来ると、旅の気分も薄れてしまうのです。でも、けいぴゃんの楽器を下ろして家に帰るまで気を抜くわけにはいきません。
 休憩のために談合坂SAに寄ると、駐車場にはたくさんの自衛隊の車両が停まっていました。何度かこういった施設で自衛隊の車を見かけていますが、どこでも必ず建物から遠いところに離れて停めています。本来であれば、国民のために働いている方々です。逆に優遇されてもいいはずですが、そんなことは決してしません。
 トイレから戻ると、ちょうど自衛隊の車両が次々と駐車場から出ていくところでした。戦車のような見かけの16式機動戦闘車の上からは、雨の中にもかかわらず、見ている私たちに隊員の方が手を振ってくれました。


 私たちも出発して本線を走っていると、自衛隊の車列に追いつきました。あんなに大きな戦闘車が高速道路を走れることにも驚きですが、こんな悪天候の中、濡れたまま車から頭を出して前を見つめている隊員の方々を見ると、仕事とはいえ大変なことだと、ただただ頭が下がる思いです。
 雨は強くなったり弱くなったりを繰り返しています。
「私、晴れ女なのに……」
とけいぴゃんは残念そうですが、台風が逸れていっただけでも大したものです。
 神奈川県をほんの少しだけ通過して、小仏トンネルを抜ければいよいよ東京都です。
「このトンネルでいよいよ東京ですよ」
 そう声をかけると、やっぱり始まったのは生配信。
「ほら、どこからどう見ても東京らしいでしょ? この空とか、標識とか、道とか……」
 高尾山あたりの緑豊かな風景の中、東京らしいでしょうと連発するけいぴゃんなのでした。
 中央道を三鷹あたりまで戻ってきたところで、土砂降りの中を走るオープンカーを見かけました。
「すごいですねぇ。閉めないんですかねぇ」
 運転手さんは雨をものともせず走っていきます。やがて、私たちと同じく高井戸の出口で下りて、信号待ちで止まったとき、ようやくオープンカーの屋根が閉まりました。
「やっぱり、冷たかったんじゃないかなあ」
 オープンカーに乗ったことはありませんが、走行中は安全のため、開閉ができないのかもしれません。それに、雨でびしょ濡れになった車内はその後どうなるのでしょうか。彼がその後どうなったのかは、誰も知らないのでした。
 東京オリンピック開催に伴い、都内の首都高では今日まで一般車1,000円上乗せの措置が続いていました。
「下道が混むんだよなぁ……」
と心配しましたが、今日は山の日で祝日ということもあってか、目立った混雑はありません。
 都内に入ってからも、雨は降ったり止んだりを繰り返します。甲州街道を走りながら、けいぴゃんは道行く人のファッションチェックを始めました。
「東京にはおしゃれな人がいっぱいで、見ていて飽きないんです」
と言うけいぴゃん。確かにおしゃれだとは思っていましたが、そんな趣味があったとは……。
 楽器の搬入先は、某アジト。10時頃、目的地に到着すると、雨がけっこう降っています。段ボール箱を降ろすのならどうってことはないのですが、積んでいるのは楽器。雨は大敵です。
 雨の中、アジトの家主に連絡してみたのですが、つながりません。ずっとそこで待機しているわけにはいかないので、
スカイツリー、見に行きましょう」
とけいぴゃんを誘ってみました。もちろん、展望台に上がるわけではなく、車中からの観覧です。
 走っているうちに、家主から連絡がありました。スカイツリーの下までは行けませんでしたが、それでも、目の前に大きなスカイツリーがそびえるのを見たけいぴゃんは、満足だったようです。
 アジトへ戻ると、搬入のときには雨が上がっていました。やはり、けいぴゃんが晴れ女だというのは本当だったようです。それも、超ド級の晴れ女。台風さえも逸らせるほどのパワーです。
 けいぴゃんとけいぴゃんの楽器を降ろせば、あとは自宅までのひとり旅。こうして走行距離2,559kmの夏の旅は終わったのでした。

8/8(日) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅9日目~その2~

 大阪府京都府の境のである天王山トンネルでも配信が始まりました。そこから京都での配信が終わらないまま、車は滋賀県に入りました。そろそろ休憩を取ることにして、大津SAに立ち寄ります。
 建物に向かうと、
「あれ? ヒッチハイク……?」
と、けいぴゃんが声を上げました。建物前の道路脇に、「長野方面」と書かれた段ボールを掲げた男性が力なく座っています。コロナ禍のうえ、この真夏の強烈な日差しの下、なぜか裸足で靴もサンダルも履いていない男性。思わず、大丈夫かなあと心配になってしまいました。


 建物の向こうには、遠くに琵琶湖が見えます。それを見たけいぴゃんが、
「瀬戸内海より大きいんじゃないの?」
と言うので、
「そんなこと言ったら、瀬戸内の人に怒られますよ」
と言ったのですが、よくよく考えてみればけいぴゃんの実家は香川県の丸亀。思いっきり瀬戸内の人でした。
 大津SAに立ち寄ったのは、551蓬莱の豚まんが目当てです。


「食べられるかなあ」
 明石で玉子焼きが全部食べられなかったけいぴゃんは心配そうでしたが、そろそろお腹が落ち着いていたのか、1個ペロリと食べていました。


 名神高速道路を進むと、次は岐阜県に入ります。社会科が苦手というけいぴゃんには、「天下分け目の関ケ原」と言ってもピンと来ない様子。
那須 与一は……、関係ない?」
と言うけいぴゃん。関ケ原の合戦よりも、源平の屋島の戦いの方がマイナーではないかと思ったのですが、平家物語にも那須与一は登場することから、国語の方でご存知だったのかもしれません。
 車は順調に走っていきます。渋滞がないのは、このコロナ禍の数少ない良いところかもしれません。
 中央道に入り、カーナビの地図を指して、
「この線が県境ですよ。次はどこでしょう?」
とちょっと意地悪っぽく言ってみます。
「さっきは岐阜から愛知だったから……、静岡?」
 残念。実はもう一度、岐阜県に入るのです。
 恵那山トンネルを抜けると、次は長野県に入ります。
「初長野です!」
と、恒例の生配信が始まりました。そりゃあ、西日本から東京へ行くのであれば、わざわざこちらのルートを選びません。しかし、けいぴゃんは帰りも別の方の車で丸亀へ戻ると言います。だったら、その時に通らないであろうルートを選択するのは当然のことなのです。
(意見には個人差があります)
 長野県に入ると、雨が降り始めました。
「私、晴れ女なのに……」
 残念そうにそう言う彼女が本領を発揮するのは、その後のこと。向こうの山には虹が架かり、地面までしっかりと七色に輝いています。みるみる天気も回復してきました。


 途中、岡谷ICで高速道路を下ります。
「一体、いつになったら東京に着くのか?」
と、そろそろ思われているかもしれません。
 そもそも、丸亀から東京まで車で楽器を運ぶだけなら、運転ができる人なら誰でもできます。しかし、その道中をいかに楽しむかということが大事だと思っています。計画段階からけいぴゃんとそんなやり取りをして、今回のツアーとなったのです。
 温泉好きなけいぴゃんを、私が大好きな下諏訪温泉へとお連れします。温泉の手前にある諏訪大社下社秋宮の参道の風景が気に入ったというので、神社にも寄ることにしました。


「いいですねぇー」
 拝殿を眺めたけいぴゃんが声を上げます。アンティークなものが好きなところとも共通するのでしょうか。
 遊泉ハウス児湯で温泉に入った後は、すっきりさっぱり。ここの湯はけっこう熱めなのですが、湯上がりの爽快感は格別です。窓を全開にすると、標高が高いせいもあり、入り込んでくる乾いた風がエアコンの風よりもずっと心地よく感じられます。


「よし。東京へ向かうぞ!」
 時刻は19時前。まっすぐ東京まで走っても夜には着くのですが、今日は甲府に宿を取っています。東京へは、明日のけいぴゃんのライブ前に着く予定なのです。
 諏訪ICから中央道に乗ると、夜空にうっすらと八ヶ岳が見えました。長野県と山梨県の県境での配信がなかったのは暗くなってきたせいでしょうか。
「もう配信、やらないのかな?」
と思っていたら、甲府昭和ICで高速道路を下りてから配信開始。
「一体どんな人が視聴しているのやら」
と思っていると、けいぴゃんのピアノの師匠がご覧になっていたようです。それを見つけると、まるで電話で話しているかのように、一方的にしゃべり倒していました。
 20時前、甲府のビジネスホテルに到着。チェックインのときに、
「まだこの辺で食事ができますか?」
と聞くと、
山梨県には緊急事態宣言は出ておりませんので、大丈夫です」
と言われました。きっと同じことを聞く客が他にもいるのでしょう。荷物を置いたら、すぐに出かけます。
 フロントで紹介されたお店は、銀座江戸家。もちろん東京の銀座ではなく、甲府のメインストリートの銀座通りのことのようです。そういえば、ホテルの前の道は旧甲州街道。このあたりは、昔の甲府の中心地だったのでしょう。


 まずは無事の到着を祝してビール。それから、甲府ということで、日本酒「七賢」をいただきます。


 お通しの煮物は上品な味つけです。川エビの唐揚げも鳥もつ煮も酒が進みます。しかし、とどめを刺されたのがホタルイカの一夜干し。こういったもので、酒飲みは完全にやられてしまうのです。


 甲州の味を堪能してからホテルに戻ってテレビをつけると、オリンピックの閉会式で橋本 聖子が長々とあいさつしていました。いつの間に眠ってしまったのは、運転のせいでも酒のせいでもなく、あの長いあいさつのせいだったことにしましょう。