お出かけ日記ANNEX

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5/4(火・祝) 松山・広島・うさぎ島 瀬戸内まんきつ海の旅4日目~その2~

 大三島フェリーの第三おおみしまは、お客さんを満載して、定刻より随分と遅れて出航しました。客室だけでなく、外のデッキも車両甲板までも人でいっぱいです。


「密だなぁ……」
 潮風に吹かれるデッキに立つと、密閉は回避されているものの、密集、密接の条件は揃っています。宮島へ渡るフェリーでさえ、こんなに人が密になっているのを見た覚えがありません。


 やがて大久野島に近づくと、徒歩で乗船の客も車両甲板に集まるようにとの放送がありました。停泊時間が短いため、遅れることのないようにとの注意つきです。


 船首近くへ行ってみると、さながら繁忙期のマークトゥエ○ン号。2020年から2021年の調査では、大久野島の島内には500~600羽のうさぎが生息しているそうですが、このペースで人が渡ればきっと、島にいる数はうさぎよりヒトの方が多いことでしょう。


 下船していきなり、休憩所のところでうさぎを見つけました。わっと、子どもたちがうさぎに群がります。見ればあちこちに小さな人だかりができていて、そのまん中には必ずうさぎがいるのでした。


 島そのものは白砂青松の海岸が美しく、海を行き交う船を見るのもまた楽しいものです。しかし、観光客の目当てはうさぎ。島の素晴らしい風景には目もくれません。

 それはそれで構わないのです。うさぎを目当てに来たのであれば、うさぎだけを見てもいいのです。でも、気になるのはうさぎにエサをあげることです。
 大久野島に来る観光客のほとんどが、ビニール袋にエサを入れて島に持ち込んでいました。その総量は、恐らく島にいるすべてのうさぎでも食べきれないほどでしょう。しかし、うさぎが食べきれなかったエサを持ち帰る観光客が、果たしてどれだけいるのでしょうか。ゴミの問題ばかりではありません。食べ残したエサを狙う生き物が当然、やって来るはずです。
 エサをあげたくなる気持ちはわかりますし、禁止されているわけでもありません。しかし、人間の管理下で飼育されている動物ならともかく、自然環境の中で生きている動物にエサをあげるということを、観光客はどこまで考えているのでしょうか。
 野生動物へのエサやりが様々な問題を引き起こしてきたことは、今さら言うまでもありません。また、エサをやることで、人間と動物との距離が変わってしまい、お互いに生活しにくくなってしまいます。そして最後は人間のために、動物をなんとかしなければならないという結果になるのです。
 あるうさぎを撮影していると、うさぎがこちらに向かって走ってきました。私は地面にスレスレにカメラを構えていたので、そのレンズめがけて突っ込んできたのです。


 本来、自然の中にいるうさぎは、人に寄ってくるような生き物ではありません。でも、ここのうさぎたちは違います。エサを持っている人だけでなく、何にでもこうして近づいてしまうということは、もちろん、同じことを車のタイヤやベビーカーの車輪などにもやりかねません。それはうさぎにとって、不幸な結末しか予想できないのです。
 観光客の中には、うさぎを追い回し、追い詰めたところで口の前にエサをやっている姿もあちこちで見かけました。それが今の大久野島の実態であり、この島にやってくる人間の本当の姿なのです。
「この人たちは、うさぎのことが好きで来ているのだろうか」
 ふと、そんな疑問を抱いてしまうのでした。

 その一方で、うさぎが大きな観光資源になっていることは間違いありません。このバランスをどのようにとっていくのか。それができなければ、いつか人間にとってもうさぎにとっても、今までの居心地のよい大久野島ではなくなってしまうはずです。
 どうやってこのうさぎたちと向き合うべきかを自分なりに考えてみました。それはやはり、見守ること。動物を観察するときの基本です。幸い、うさぎは人間に危害を与えるような動物ではありません。間近でその姿を見ることができます。木陰で休む姿、砂浴びをする姿……。うさぎが好きな人であれば、動物を愛する気持ちがあれば、それだけでも十分なはずです。


 大久野島といえば、やはり旧陸軍の毒ガス工場の歴史に目を向けないわけにはいきません。大久野島毒ガス資料館に行ってみると、意外にもたくさんの人が見学していました。みんなうさぎ目当てで来ているとばかり思っていたのですが、必ずしもそうではないようです。


 毒ガスで人が死ぬということはどういうことか。普通に生活していたら想像もつきません。せいぜい、ドラマなどで何やら薬を嗅がされて、眠るように倒れるイメージでしょうか。でも、実戦で使われた毒ガス兵器はそんな生易しいものではありません。展示されている毒ガス兵器の犠牲になった人々の写真を見ると、皮膚はただれ、腫れ上がり、そして最後はそのかけがえのない命を奪われるのです。
 予定では14:56の便で戻ればよいと思っていたのですが、この便が時刻表通りに運航される保証はありません。そればかりか、客が乗り切れるのかどうかもわかりません。
 調べてみると、大久野島を13:57に出航する竹原行きの船があるようです。どうせこれから竹原に向かうのですから、これで行けばいいはず。しかし、切符売り場が見当たりません。
「竹原へ行く船のきっぷは、どこで買えばいいですか?」
 桟橋のところで交通整理をしていた係員に聞いてみました。すると、
「ご予約されてますか?」
と聞かれるではありませんか。
「予約、いるんですか?」
「いや、わからないですけど……」
 海岸沿いには、13:48発のフェリーを待つ人が長い列を作っています。乗れるかどうかわからない竹原行きに賭けるか、ちょっとは無理をしてでも乗せてくれそうな忠海行きにするか。旅というのは、時にこういった選択を迫られるものなのでした。