お出かけ日記ANNEX

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9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その4~

 一つの境内に2つの札所があるのが、七宝山神恵院と観音寺です。観音寺という町には過去2回ほど来ているのですが、観音寺そのものに行くのは今回が初めてです。しかも、その2回とも寺の近くを通っているのですが、寺に立ち寄ることはありませんでした。


 先に、札所の順番通りに68番神恵院に向かいます。地名にもなっている観音寺に比べ、印象が薄いのは仕方ありません。本堂に向かうと、コンクリートで覆われた建物が現れました。「ずいぶんと地味だなぁ」と感じたのですが、奥にはちゃんとお堂があり、これがまた立派で驚いたのでした。


 寺も神社も教会も、その機能だけを考えれば、マンションの一室でも構わないでしょう。地方を走っていると、教会を名乗る施設がいろいろな建物を居抜きで利用しているのもよく見かけます。でも、寺らしくない見た目の寺というものを見た覚えがありません。だからこそ、神恵院の建物が新鮮に見えたのです。
 69番観音寺の方は、大師堂も本堂も朱塗りで豪華なつくり。いかにもお寺らしい建物です。境内には、小学生くらいの子どもを連れた家族が何組か来ていました。信仰はともかく、小さいうちにこういった文化や風習といったものに接しておくことは大事なことだと思います。仏教から学ぶというよりも、寺という公共の場で身近な人から学ぶことは少なくないはずです。


 札所が2つあるということは、納経も2か所分。つまり、納経料も倍額納めるということ。
「それなら八十八ヶ所分前払いして、回数券のようにすればいいのに……」
 ついつい、そんなことを考えてしまいます。いや、デパートの駅弁大会のように、どこか1か所に88のブースを用意して、一度にお遍路ができるようなイベントをやろうとする人がいてもおかしくないと思うのですが、そこはちゃんと霊場会という組織があるので、実現することはないでしょう。
 さあ、このあたりで今日の宿を決めておきましょう。予約したのは、丸亀のAPAホテル。駐車場があると思って予約したら、駐車料金別だということに後で気づきました。駅近くだから、仕方ありません。しかし、そんなことに気づかないほど、焦って予約していたということ。
「いけない、いけない」
 気持ちを落ち着けて、次の札所へ向かうことにします。
 このあたりは札所と札所が近く、次の70番本山寺にはあっという間に到着しました。寺を巡っている人も、「あの人、○○寺で見かけたなぁ」ということも多く、わざわざ声をかけるようなことはありませんが、妙な連帯感があるのが面白いところです。


 ここ本山寺の本堂は国宝で、鎌倉時代に建立されたものだといいます。仁王門も、同じく鎌倉時代のものだそうですが、こちらは重要文化財。国宝と重要文化財、その価値の違いは素人の私にはわかりませんが、七、八百年もの間ここに存在しているものに今の私が出会い、その間に生きた人々とこの建物を共有しているということに価値があると思います。
 よく、「開業以来○人目のお客さまです」といったイベントがありますが、お遍路さんはどこでも、建立以来○年目のお遍路さんなのです。その重みは、開業以来○人目とは比べ物になりません。国宝か、重要文化財かということは、自分にとっての価値ではありません。自分がそれに出会えて幸せだと感じるかどうか。このお遍路の旅で、そういったものにたくさん出会えてきました。そして、普段の生活の中でもきっと、そういったものに出会っているはずなのです。
 国道11号線を走り、次の71番弥谷寺は山のお寺。登山口には無料の駐車場があるのですが、さらにその先に進める有料道路がありました。調べてみると、段数にして、270段ほどパスできるようです。仁王門から本堂までは530段余りあるとのこと。それが半分になるというのは魅力ですが、問題は通行料金がどこにも書かれていなかったことです。

 とりあえず、ここは無料を選択。仁王門をくぐり、寺へ向かって石段を上がっていきます。


 途中、まっすぐな108段の階段がありました。そこを、両親に手を引かれた就学前くらいの女の子が一段ずつ、階段を確かめるようにしながら下りてきます。

「ああ、ああいうの、いいな」
 ふと、そんなことを思いました。彼女が大きくなったとき、今日のことを覚えているかどうかはわかりませんが、自分が大切にされていたということは記憶の中に刻まれていてほしいと思うのです。それは、はっきりとした記憶ではなくてよいのだと思います。自分が大切にされていた記憶は、どこかで、自分を勇気づけることになるはずです。そして、自分自身もそうだったのではないかと思えると、ありがたい気持ちになるものです。


 目が覚めるような冷たさの手水で腕も冷やします。9月といえど、気温が高い中を上っていると、いっそ頭からかぶりたいところですが、そうはいきません。腕だけで我慢して、さらに先を目指します。


 阿弥陀三尊像の摩崖仏が刻まれる崖は、地層の模様が美しく、眺めていて飽きることがありません。色や縞模様、それを覆う苔の色などを楽しみながら、530段余りの階段を上りきって本堂に辿り着くと、清々しい空気に包まれました。暑い中ではあっても、やはり山の上の気持ちよさは格別です。階段を上る苦しさも、こういったことがあればすべて報われます。
 大師堂の中で納経を受け、来た道を戻ります。階段を上がってくる参拝者の方と「お疲れさまです」と声をかけ合う。これも、お遍路の醍醐味といえるでしょう。そして、こんな風に一つずつ「ありがたい」と思う経験を積み重ねていくことが、お遍路の大事な意味なのかもしれません。