お出かけ日記ANNEX

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9/13(月) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅3日目~その1~

 私のように、動いていないと具合が悪い回遊魚型(?)の旅人の朝は早くに始まります。5時台には目を覚まして、6:00からの朝風呂を満喫してからチェックアウト。いつものビジネスホテルのお楽しみは朝食バイキングなのですが、ここ香川県はうどん県。朝から讃岐うどんを食べることにします。

 6:30過ぎにチェックアウトして、前回丸亀に来た時にゲストハウスのオヤジさんに薦められた「まごころ」といううどんやさんを目指すことにしました。ここは朝6時から年中無休で営業しているという、なんとも嬉しいお店なのです。

 いかにも港湾地区といった風景の中、殺風景な角地に店舗はありました。うどん工場に併設されている店舗ということで、製造の片手間に営業しているような小さな店舗かと思ったら大違い。体育館のような巨大な店舗は、サービスエリアかショッピングモールかと思うほど広さがあります。これなら、団体旅行で数台のバスを連ねて来ても入れそうです。

 レジでうどん玉を注文し、レジから少し離れたところにある釜で、自分で茹でることができるセルフの店。薬味も載せ放題ですし、かけ出汁ももちろん、セルフでタンクから注ぎます。

「そうか。だからあのオヤジさんはこちらを奨めたのか」

と、ようやく合点がいきました。ゲストハウスに泊まるような旅人なら、上品で美味しいうどんやさんよりも、地元ならではのこちらの方が気に入るに決まっています。あのオヤジさん、さすがです。

 お腹が空いていたので、かけうどん(中)を注文すると、うどん2玉でした。つまり、(小)の2倍です。これは嬉しい。

 かけうどんと一緒にとり天を注文したのですが、これの衣が硬いのなんの。口の中をケガするんじゃないかと思うような硬さです。しかし、それを出汁の中に入れると、不思議とちょうどよい柔らかさになりました。きっと、そこまで考えて揚げているのでしょう。これは、天ぷらとして食べるのでなく、天ぷらうどんとして食べるための天ぷらなのです。なんという配慮でしょう。恐るべし、うどん県といったところなのでした。

 さあ、今日も寺めぐりを始めましょう。まずは77番道隆寺から。いろいろな札所で弘法大師像はよく見かけるのですが、弘法大師にすがる衛門三郎像というのは初めて見ました。しかも、背中に名前が彫られていて、衛門三郎の話を知らない人でもわかるようになっています。

 境内では、地元の方でしょうか、中年の男性とその母親らしい女性が二人、朝から熱心にお詣りしていました。その土地の寺や神社を大切にするということを、この国の人々は昔からずっとしてきたはずです。しかし、私はそれにあまり触れることなく育ってきたように思います。というのも、私が子どもの頃に住んでいたのは、ベッドタウンと呼ばれる、高度経済成長期に開発された町。寺や神社は、身近なものではありませんでした。神輿も山車も、近所では見かけませんでしたし、秋祭りをやるような場所もありませんでした。

 今の日本で、少子高齢化が進むこの国で、古くからの日本の文化といったものはどれだけ継承されているのでしょう。文化とは、博物館に展示するようなものでなく、いつもすぐ身近にあるべきものだと思うのです。

 また、この寺には奈良時代に起源をもつ眼病平癒の「眼なおし薬師さま」がまつられています。子どもの頃からメガネだった私は帰りがけに、こちらの薬師さまにも手を合わせることにしました。宗教とか文化とか、そういった難しいことではなく、自分の気持ちとして、そう風にしようと思う。大切なことはそういうことだと思うのです。

 次の金倉寺に向かう途中、小学校の前を通り過ぎました。カレンダー通りの仕事をしている私にとって、たまたまイレギュラーで月曜日が休みになって子どもたちの通学風景に出くわすと、思わずドキッとしてしまいます。それが制服姿の中高生なら、「今日は部活かな」とも思えるのですが、ランドセル姿の小学生を見かけると、「今日は平日だよ」と言われているようで、なんだか仕事をサボって悪いことをしているような気持ちになるのです。

 76番金倉寺の駐車場に停めて寺へ向かうと、料金は本堂の奥にある売店のようなところで支払う仕組みになっていました。この売店には必ず行かなければいけないわけではないし、自分からひと声かけなければわからないでしょう。それでも正直に申告することにします。駐車料金だと思うと、毎回払うのは重荷に感じますが、お賽銭だと思えば気が楽です。

 納経所のおばちゃんと、どこから来たかといったことを話していると、

「今はえぇ。早よ回れる」

と、このコロナ禍でお遍路さんが少ないことを話してくれました。

「でも、今日、東京に帰るんです」

と伝えると、こんなに天気がよくてたくさん回れるのに……と残念がられました。さすがに、夕方近くまで寺を巡り、夜通し走って徹夜で明日の仕事に行くわけにはいきません。今日はほどほどでお遍路は終わりにして、次回の楽しみにとっておくことにします。

 境内では、太極拳をされている人たちがいるなど、のんびりとした空気が漂っています。公園のように、人々の暮らしの傍にある空間というところが素敵だなと思ったのでした。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その6~

 丸亀に向かって走っていると、県道21号線沿いにモスバーガーを見つけました。ドライブスルーもありましたが、ここは休憩が目的なので、店内でコーヒーをいただくことにします。

 お店に入ろうとしたとき、入り口の自動ドアの張り紙が目に入りました。そこには、営業時間短縮のお知らせが書かれています。ここで初めて、丸亀の飲食店は20時までの時短営業だということを知ったのです。

「これは、まずい。」

 まん延防止等重点措置で酒の提供ができないのは高松市だけだと思っていて、周辺の自治体で時短営業をしているとは思いもよらなかったのです。

 私の愛車はホテルの立体駐車場に入らないため、ホテル提携の駐車場を案内してくれるようなのですが、18時から1泊料金となるようです。だから、18時を過ぎたらチェックインをして、ひと息ついたら大浴場でのんびりして、どこかの居酒屋で風呂上がりのビールを飲もうと計画していました。そうすると、居酒屋には19時半頃に着けばよいかと目論んでいたのですが、時短で20時までの営業となると、19時半では酒類の提供が終わってしまいます。

 こういう時、まずは落ち着きましょう。ホットコーヒーをすすりながら、よく考えてみることにします。時刻は17時過ぎ。宿がある丸亀駅前までは、目と鼻の先です。駐車場の料金をよく調べてみると、18時以前は30分100円で駐車できるようなので、17:30に駐車場に入れたら100円プラスするだけで済みます。30分早く行動すれば、風呂上がりのビールもなんとかなりそうです。

 旅の途中、こうやってふと立ち止まるのは大切なこと。でも、先を急いでいると、ついそれを疎かにして、大事なことを落としてしまうことになるのです。

 アパホテル丸亀駅前大通に着くと、以前来たような気がします。スマートフォンを見ると、ホテルのWi-Fiをすでに拾っていました。パスワードが記憶されていたようです。

 17:30ちょっと前にホテルに着いて、フロントで提携駐車場の場所を聞くと、

「あと少しで17:30ですので、30分になったら入庫してください」

と、事情をすべて理解していたフロントマンに案内されました。こういったサービスは、さすがホテルマン。お客さんのことをしっかりと考えてくれます。

 とりあえず荷物を置いて、まずはひと風呂浴びることにします。最上階にある大浴場で体が温まるまでしっかり浸かったら、部屋に戻って、近くの居酒屋を検索。

「駅の近くだから、店はあるだろう……」

 しかし、甘かった。今日は日曜日で、お休みの店も多く、夏に丸亀に泊まったときにお世話になったお店も定休日。それに、まん延防止等重点措置の影響か、時短にするくらいなら休業するといった店があるようで、食指の動く店がなかなか見つかりません。

「こうなったら、開いている店を見つけて突入するしかない」

 そう心に決めて、ホテルを出ました。

 駅前の大きな通りですが、シャッターを閉めている店もけっこう見かけます。さらに進んでいくと、一軒の居酒屋さんが開いていました。店頭の看板によると、どこからか移転してきた店のようです。看板に「骨付鳥」とあるので、期待して入ってみることにします。

 カウンターに通され、まずは生ビールとキムチをいただきながら、骨付鳥が焼けるのを待つことにしました。注文したのは、もちろん親鳥です。

 ここのお店では、提供するときにキッチンばさみを添えてくれました。自分の好きな大きさにカットして食べられるのは嬉しいサービスです。当然のようにビールは足りなくなり、大ジョッキを追加します。

 ひとりカウンターでビールをあおりながら、前回の四国の旅で、丸亀から東京までご一緒させていただいたトイピアノ奏者のけいぴゃんに丸亀にいることを知らせると、一鶴には行かないのかという返信が返ってきました。20時までの営業ではないのかと聞いてみると、なんと22時まで開いているというではありませんか。だったら、行くしかありません。とりあえず、ここは会計を済ませ、駅の反対側にある一鶴 丸亀本店へ行くことにします。

 店の前に着くと、たくさんの人が店頭にたむろしていました。路上飲みではありません。一鶴の順番待ちの客が、店からあふれているのです。

「これは時間がかかりそうだ……」

 諦めてホテルへ戻ろうとした時、店の中から声がかかり、けっこう多くのお客さんが店の中に呼ばれていきました。なるほど、回転は悪くなさそうです。私も名前を書いて待っていると、1名だからということで、カウンター席に早めに通してもらえました。

 親鶏と一緒に生ビールの大ジョッキを注文。風呂上がりの一杯(二杯?)は先ほどの店で済ませたので、ビールは親鶏と一緒に持ってくるように頼みました。

 旅のメモをまとめていると、待っている時間も苦にはなりません。

 親鶏は、以前一鶴で食べた時ほど塩辛いとは思いません。それより、美味しすぎてビールがどんどん消えていきます。さっきの店でも飲んだのに、いまだにビールが美味しく飲めるのは、この味付けのせいに違いありません。

 ほろ酔い気分でホテルに戻り、この日はそのまま眠ってしまったのでした。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その5~

 72番曼荼羅寺の門前で、歩き遍路の方を見かけました。車で回っていると、早く次の札所へと急いでしまうのですが、歩き遍路の方からは、そんな焦りのようなものは感じられません。いや、車か歩きかという手段の問題ではなく、ただ単純に私が先を急ぎたい性格だからなのかもしれません。


 駐車場に車を停めて山門をくぐると、歩き遍路の方も境内にいらっしゃいました。私が鐘をついてお詣りを済ませようとすると、彼はまだ荷物を降ろしてひと休み。それから、私の後に鐘をつこうとしていました。
「こういった余裕が、自分にはないなぁ……」
 何も、急いで八十八ヶ所を巡る必要はありません。時間に追われているわけでもないし、ノルマが決められているわけでもない。自分で決めればよいのです。でもそんな時、そこでどのように振舞うかというところに、その人となりが表れるのでしょう。
 私はというと、72番曼荼羅寺に着く前に、73番出釋迦寺のことを考えていました。というのも、車を停める前に、曼荼羅寺の駐車場が有料だという表示を見かけたのです。
「次の寺も駐車場が有料だったら、もう一度払うのはもったいないなぁ……」
と、まだ72番にも着いていないのに、73番へ歩いて行くか、車で行くかと思案していたのです。
 その時。ふと、寺を巡っている最中にもかかわらず、有名な聖書の箇所を思い出していました。それは、空の鳥や野の花をたとえにして、思い悩むなと説教をするお話です。
「まさに、今の私にピッタリだな」
 いろいろ考えても仕方がありません。それに、駐車料金がかかるのであれば、支払えばいいだけのこと。それで困るような額でもありませんし、そんなことで思い悩むことで、旅が楽しめなくなってしまいます。
「うん。なるようにしかならない」
と思って、気を取り直して72番、73番と順に巡ることにしたのでした。

 曼荼羅寺の納経を済ませ、車で出釋迦寺へ向かうと、駐車場は無料。寺へ向かって歩いて行くと、「通行止めのお知らせ」と書かれた看板が立っていました。


「これはダメか……」
 来た道を引き返そうとすると、下の方で立ち話をしていた女性が、
「行けますよ」
と教えてくれました。やはり、旅をしていると誰かに助けられる瞬間があります。そのことに対して、ありがたいという気持ちを忘れてはならないと思うのです。

 境内には、onちゃんのグッズをつけた巡礼者の姿も見かけました。やはり、あの番組の影響でお遍路をする人も少なくないのでしょう。それも、ただ門の前で写真を撮るだけでなく、みなさんちゃんとお詣りして、納経もするようです。
 お詣りを終えて車に戻ろうとすると、先ほどの私と同じように、石段の下で白装束に笠をかぶった男性が、看板を見て思案していました。
「上まで行けますよ」
と、今度は私が声をかけます。すると、男性は「ありがとうございます」と言って、寺へと上がっていきました。お遍路さんに親切にすることを、お接待といいます。でも、それはサービスではなく、お接待をされたお遍路さんもまた、次の誰かに親切にする。思いやりの気持ちがつながっていくのが、本当のお接待なのだと思うのでした。
 次の札所は、74番甲山寺。ここには、いたるところにうさぎの像や絵があります。納経所に行くと、うさぎの御朱印もいただけるということだったので、車に戻って御朱印帳を取ってこようかとも思ったのですが、それぞれの札所の納経所が開いているのは17時まで。あと1時間ちょっとです。ここでロスしてしまっては、次の札所の納経に間に合わないかもしれません。


 なに、また来ればいいのです。楽しみは先に取っておけばよいのだと言い聞かせて、次の寺で今日は打ち止めにすることを決めました。
 75番善通寺に着いてまず驚いたのが、ショッピングモールの駐車場のような広大な駐車場です。今まで巡ってきた札所の駐車場で、一番大きいのではないでしょうか。当然、駐車場からお寺までは少し歩くことになります。


 鐘をつき、まずは本堂へお詣り……と思ったら、すぐ近くにある大きなお堂は大師堂で、本堂は道を渡ったさらに先にあるようです。さすが、真言宗善通寺派の総本山。その敷地も広大で、まるで公園の中にお堂や塔が建てられているようです。広々とした境内では、小さな子どもとその親御さんらしい大人が一緒に遊んでいます。東京の小学校の校庭よりもずっと広くて、運動会もできそうです。


 お詣りをするときに気づいたのが、この寺では線香を香炉に立てずに寝かして置くようです。もちろん、それに倣って、私も寝かせます。火が消えるのではないかと心配したのですが、見る限り、そのようなことはなさそうです。


 お詣りを終えて納経所へ行くと、さすがに規模が大きなお寺だからか、二人体制で受け付けていましたしかし、どちらも前の方が御朱印の種類についていろいろ質問しているらしく、それがなかなか終わりません。次に行く札所が控えていればイライラしそうなものですが、今日はここで打ち止めにするつもりなので、気が楽です。
 車に戻ると、時刻は16:44。大急ぎで行けば、ギリギリでどこかの札所の納経所に飛び込むこともできそうな気がしますが、朝から札所を巡り、さすがに疲れました。どこかでひと休みしてから、丸亀のホテルへ向かうことにしましょう。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その4~

 一つの境内に2つの札所があるのが、七宝山神恵院と観音寺です。観音寺という町には過去2回ほど来ているのですが、観音寺そのものに行くのは今回が初めてです。しかも、その2回とも寺の近くを通っているのですが、寺に立ち寄ることはありませんでした。


 先に、札所の順番通りに68番神恵院に向かいます。地名にもなっている観音寺に比べ、印象が薄いのは仕方ありません。本堂に向かうと、コンクリートで覆われた建物が現れました。「ずいぶんと地味だなぁ」と感じたのですが、奥にはちゃんとお堂があり、これがまた立派で驚いたのでした。


 寺も神社も教会も、その機能だけを考えれば、マンションの一室でも構わないでしょう。地方を走っていると、教会を名乗る施設がいろいろな建物を居抜きで利用しているのもよく見かけます。でも、寺らしくない見た目の寺というものを見た覚えがありません。だからこそ、神恵院の建物が新鮮に見えたのです。
 69番観音寺の方は、大師堂も本堂も朱塗りで豪華なつくり。いかにもお寺らしい建物です。境内には、小学生くらいの子どもを連れた家族が何組か来ていました。信仰はともかく、小さいうちにこういった文化や風習といったものに接しておくことは大事なことだと思います。仏教から学ぶというよりも、寺という公共の場で身近な人から学ぶことは少なくないはずです。


 札所が2つあるということは、納経も2か所分。つまり、納経料も倍額納めるということ。
「それなら八十八ヶ所分前払いして、回数券のようにすればいいのに……」
 ついつい、そんなことを考えてしまいます。いや、デパートの駅弁大会のように、どこか1か所に88のブースを用意して、一度にお遍路ができるようなイベントをやろうとする人がいてもおかしくないと思うのですが、そこはちゃんと霊場会という組織があるので、実現することはないでしょう。
 さあ、このあたりで今日の宿を決めておきましょう。予約したのは、丸亀のAPAホテル。駐車場があると思って予約したら、駐車料金別だということに後で気づきました。駅近くだから、仕方ありません。しかし、そんなことに気づかないほど、焦って予約していたということ。
「いけない、いけない」
 気持ちを落ち着けて、次の札所へ向かうことにします。
 このあたりは札所と札所が近く、次の70番本山寺にはあっという間に到着しました。寺を巡っている人も、「あの人、○○寺で見かけたなぁ」ということも多く、わざわざ声をかけるようなことはありませんが、妙な連帯感があるのが面白いところです。


 ここ本山寺の本堂は国宝で、鎌倉時代に建立されたものだといいます。仁王門も、同じく鎌倉時代のものだそうですが、こちらは重要文化財。国宝と重要文化財、その価値の違いは素人の私にはわかりませんが、七、八百年もの間ここに存在しているものに今の私が出会い、その間に生きた人々とこの建物を共有しているということに価値があると思います。
 よく、「開業以来○人目のお客さまです」といったイベントがありますが、お遍路さんはどこでも、建立以来○年目のお遍路さんなのです。その重みは、開業以来○人目とは比べ物になりません。国宝か、重要文化財かということは、自分にとっての価値ではありません。自分がそれに出会えて幸せだと感じるかどうか。このお遍路の旅で、そういったものにたくさん出会えてきました。そして、普段の生活の中でもきっと、そういったものに出会っているはずなのです。
 国道11号線を走り、次の71番弥谷寺は山のお寺。登山口には無料の駐車場があるのですが、さらにその先に進める有料道路がありました。調べてみると、段数にして、270段ほどパスできるようです。仁王門から本堂までは530段余りあるとのこと。それが半分になるというのは魅力ですが、問題は通行料金がどこにも書かれていなかったことです。

 とりあえず、ここは無料を選択。仁王門をくぐり、寺へ向かって石段を上がっていきます。


 途中、まっすぐな108段の階段がありました。そこを、両親に手を引かれた就学前くらいの女の子が一段ずつ、階段を確かめるようにしながら下りてきます。

「ああ、ああいうの、いいな」
 ふと、そんなことを思いました。彼女が大きくなったとき、今日のことを覚えているかどうかはわかりませんが、自分が大切にされていたということは記憶の中に刻まれていてほしいと思うのです。それは、はっきりとした記憶ではなくてよいのだと思います。自分が大切にされていた記憶は、どこかで、自分を勇気づけることになるはずです。そして、自分自身もそうだったのではないかと思えると、ありがたい気持ちになるものです。


 目が覚めるような冷たさの手水で腕も冷やします。9月といえど、気温が高い中を上っていると、いっそ頭からかぶりたいところですが、そうはいきません。腕だけで我慢して、さらに先を目指します。


 阿弥陀三尊像の摩崖仏が刻まれる崖は、地層の模様が美しく、眺めていて飽きることがありません。色や縞模様、それを覆う苔の色などを楽しみながら、530段余りの階段を上りきって本堂に辿り着くと、清々しい空気に包まれました。暑い中ではあっても、やはり山の上の気持ちよさは格別です。階段を上る苦しさも、こういったことがあればすべて報われます。
 大師堂の中で納経を受け、来た道を戻ります。階段を上がってくる参拝者の方と「お疲れさまです」と声をかけ合う。これも、お遍路の醍醐味といえるでしょう。そして、こんな風に一つずつ「ありがたい」と思う経験を積み重ねていくことが、お遍路の大事な意味なのかもしれません。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その3~

 四国八十八ヶ所霊場のうち、関所とされる札所が4か所あります。そのうちの一つが、66番雲辺寺です。

 国道32号線の長いトンネルを抜けると、徳島県に入ります。雲辺寺讃岐国の札所ですが、所在地でいうと徳島県になるのです。県道6号線の山道を駆け上ると、久し振りに四国らしさが感じられます。

 ここは、寺までのロープウェイが通じているほどの難所の一つなのですが、同じくロープウェイが通じている21番太龍寺と同様に、山道を登っても行くことができます。ロープウェイの運賃は、大人往復2,200円。こちらも太龍寺と同様、なかなかのお値段です。

 先ほどから降り出した雨は、寺へ続く細い道を登っていっても、止む気配はありません。

「いよいよ、傘を差してのお詣りか……」

 8月のお遍路旅では、一度も傘を差さずに回ることができましたが、この天気では仕方がありません。傘を差してのお遍路を覚悟することにします。

 駐車場に車を停めると、まさに雲辺寺、山のへりに雲がかかっているのが見えます。雲がすぐそこにかかっていて、手が届きそうです。こういった天気のときに来ることができたのは、むしろラッキーだったかもしれません。

 雨が降っていないわけではありませんが、傘を差すほどではありません。念のため、傘を持って寺へと向かうことにします。

 歩いていくと、道の途中に小屋が立っていました。そこは、協力費徴収所。ここを通るには、補修協力費を払うしかありません。言われた通り、500円を納めると、お箸をいただきました。

 さらに進んで立派な仁王門をくぐり、真新しい石段を上がっていくと、大師堂の前に出ました。お堂の前には、マニ車という、お経が彫られた石の筒がありました。

マニ車といえば、現金輸送車だよなぁ……」

 貨物列車の型式をついつい思い浮かべてしまうのは、子どもの頃、鉄道に興味をもっていたせいでしょう。

 実際に回してみると、石のマニ車はずいぶんと重たく感じました。回すことで、お経を一巻唱えるのと同じ功徳が得られるというのですから、簡単に回ってしまっては有難みがありません。

 お詣りをしているうちに、少しだけ雨が顔に当たるようになりましたが、まだ傘のお世話になるほどではなありません。いや、傘を差してもよかったのかもしれませんが、なんだか負けを認めたような気がしたので、そのまま駐車場まで傘を差さずに戻ったのでした。

 次の67番大興寺へ向かうために山道を下っていくと、分かれ道がありました。片方は、来るときに上ってきた道。もう片方は、まだ行ったことのない道。それなら迷わず、通っていない道を選ぶ、それが私のやり方です。

 選んだ道を進んでいくと、この道がなかなかのすごい道。歩道というには広く、車道というには狭いといった道なのです。まるで、公園の中の通路といった感じです。幸運にも、反対側から来る車はありませんでしたが、対向車が来たらどうしようかと常に考えながら走るのが四国の道なのです。

 県境の尾根をなぞるように走る道を抜けると、県道8号線に出ました。センターラインはないものの、対向車とすれ違える道だとペースも上がります。これも、四国の道。苦しい道ばかりでなく、走って楽しい道もたくさんあるのです。

 11:36、大興寺に到着。仁王門の向かいには、お地蔵さまでしょうか。田んぼのそばに、仏さまが立っていて、いかにも日本の原風景といった風情です。

 苔むした石段を上る途中にあるカヤとクスは、弘法大師のお手植えだと伝えられているそうです。

 しかし、この弘法大師という方のお手植えの木々や、一夜にしてお堂を建立したという話があちこちにあるのはおもしろいところ。本当かどうかというよりも、書物もないような古い時代の人がその伝説を大切にし、後世の人々にも弘法大師への尊崇の念を受け継いできたことはすごいことだと思うのです。

 本堂に向かうと、私の前に参拝していたご婦人が、「熱いっ!」と叫びました。どうやら、線香に手が近づいたか、当たったかしたようです。ご夫婦らしく、そのままお二人でその場を離れたので、大丈夫だとは思うのですが、私も、線香を香炉に立てるとき、いつも火傷をしないかとドキドキするのでした。

 そろそろお昼も近いので、次の札所である観音寺そばにあるうどんやさんに行くことにします。寺の手前に柳川製麺所というところがあるらしいことは調べてあったので行ってみると、店の周りは古い街並みで、細い道が入り組んでいます。こういったとき、軽自動車でよかったと思うのです。

 柳川製麺所は、店構えだけでなく店の中もレトロで、いかにも昔の食堂といった雰囲気です。中に入ると、狭い店内のテーブルで家族連れがうどんをすすっています。もうこの時点で、この店が気に入ってしまいました。

 さすがは製麺所。店の奥には作業場のようなものが見えます。そこからそのまま麺が運ばれてきて、厨房で茹でられたものがすぐに提供される。うどん好きにはたまりません。

 かけうどんを注文すると、先ほどの山内うどんと同じく、塩味よりもうま味や甘みといったものを感じる出汁が素晴らしい。細めのうどんは、のどごしが最高で、一杯では物足りなく感じるほど。特別なところは何ひとつないのに、そのバランスは店によって違います。それが店の個性であり、うどん県の魅力なのだと思うのでした。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その2~

 郷照寺から県道に出たところに、こだわり麺や宇多津店がありました。チェーン店ですが、この時間から開いているのはありがたい。せっかく香川に来たのです。やはり、うどんを食べなくては始まりません。


 しょうゆうどんを注文すると、290円。薬味は載せ放題で、生のすだちも用意されているではありませんか。当然、うどんは美味しいのですから、さすがはうどん県と唸るほかありません。


 店内には、「価格改定のお知らせ」が貼られていました。原材料の値上げにより、9/16から値上げとなるようです。その値上げ幅は、うどん全品10円とのこと。それでも安い。つくづく、うどん県の食文化がうらやましくなります。


 次の札所、79番天皇寺を目指して県道33号線を走っていると、フロントガラスに雨粒がつくようになりました。先月、四国を回ったときは、毎日晴天続きで傘を使わずに済んだので、今回もできれば傘を使わずにまわりたいところです。
 天皇寺に着くと、寺の入り口に鳥居が立っています。三輪鳥居という、明神鳥居の両脇に鳥居を持つ珍しい作りです。後で調べると、この鳥居のくぐり方というのがあったらしいのですが、そこまで調べていなかった私。恭しく、敬意を払って鳥居をくぐることにします。


 というのも、ここ79番天皇寺高照院は、水曜どうでしょうファンにはおなじみの曰く付きの札所。怪奇現象が起きた場所として有名です。失礼があってはなりません。
 鳥居をくぐって正面には、崇徳天皇を祀る白峰宮が鎮座しています。この神社の建物に対して、天皇寺の方の本堂と大師堂は、ずいぶんと小ぢんまりとしているのです。


「不思議なお寺だなぁ……」
 当然のことながら、何ら怪奇現象も起きることなく無事に納経していただき、次の札所へと向かうことにします。
 80番国分寺は、四国の阿波、土佐、伊予のそれぞれの国分寺と同じく、四国八十八ヶ所霊場の一つになっています。4か国目の国分寺ですが、伊予国国分寺はまだ訪れていないので、達成感はありません。


 仁王門を入ると、本堂までまっすぐに道が続いていました。さすがは国分寺といった風格を感じる佇まいです。しかし、最盛期の国分寺はこんなものではなく、巨大な金堂や、京都東寺の五重塔よりも高かったと推定される七重塔があったと考えられています。昔の国分寺は、ただのお遍路の札所でなく、社会の中心であったはずなのです。


 しかし、学校で習う歴史は、宗教の部分はずいぶんと削ぎ落とされてしまっているように思います。宗教的に中立というのは大切なことではあるのかもしれませんが、日本史にしろ世界史にしろ、歴史上の出来事や時代の流れを理解するうえで、特定の宗教の影響力を無視することはできないのです。


 本堂へお詣りした後、大師堂へ向かいます。ここの大師堂は、納経所とセットになっているようです。大師堂の前で掃除をしていた女性にあいさつをすると、
「ご用があったら呼んでください」
とおっしゃったので、お詣りを終えてから納経をお願いすることにします。どこの札所でも、このコロナ禍でお遍路さんが少ないのか、納経所でお遍路さんを待ち構えているというよりは、札所の人を呼ぶといったことが多いような気がします。
 ともあれ、寺巡りはいったんお休み。せっかく四国うどん県に来たのですから、うどんやさん巡りもしてみたいところです。国分寺の近くには、がもううどんという有名店があるのですが、本日日曜日はあいにく定休日。次に行く予定の札所、66番雲辺寺までの途中にも有名店の山越うどんがありますが、こちらも定休日です。
「どこかにうどんやさんはないかなぁ……」
ツーリングマップルで探してみると、山内うどんというお伊勢が見つかりました。早速、カーナビに住所を入力し、向かってみたのですが、現地近くに着くと、駐車場は見つかったものの、店らしき建物が見当たりません。
「なくなってしまったのかなぁ……」
 そう思っていると、林の中を登っていく細い道を登っていく車があるではありませんか。
「そこか!」
 こうして、山の中の小さなうどんやさんに出会うことができたのでした。


 店の外には、薪が山積みになっています。県観光協会のサイトで調べると、「薪で焚き、おいしい水で締めるうどんと、特製のイリコダシが絶品だ。」と書いてありました。


 かけは、あつあつ、ひやあつ、ひやひやの3種類。まるで合言葉のように、並んだ客がお店の人に伝えます。私はあつあつ(小)を注文。海老の入った天ぷらが美味しそうだったので、それも注文してみました。


 まずは、透き通った出汁をひと口いただきます。
「う、うまい……」
 出汁は塩辛さがなく、甘みすら感じます。できれば、これだけ湯呑みに入れていただきたいくらいです。うどんに対して出汁が少ないんじゃないか、もっと入れてくれと言いたくなるくらい、確かに絶品です。
 そして、うどんがまたうまい。小麦のうま味というのでしょうか。嫌な味が一つもしないのです。
 余計なものは何もない、シンプルなうどん。しかし、それだけで十分にうまいと感じさせるこの一品。うどん県にはまだまだうまいうどんがあることに気づかされた瞬間でした。

9/12(日) 2回目のお遍路 秋のうどん県寺巡りの旅2日目~その1~

 レストイン多賀の仮眠室で目が覚めたのは、午前2時頃。まだ完全に目覚めていない体を湯船に沈め、気合いを入れます。ロッカーの鍵を返そうとすると、フロントの男性はマスクを外して休んでいたのか、私が行くと慌ててマスクを着用していました。6時間までの休憩時間内だったので、追加料金もなく、2:30頃、深夜の名神高速道路へと走りだします。
 昼間と違って、うんと交通量の少ない高速道路を進みます。大型トラックを1台、また1台と追い越していくのですが、周りが暗くて何も見えないせいか、なんだかゲームの中の世界のようで、いまひとつ現実感がありません。でも、この時間に誰かがトラックを運転して、日本中に荷物を届けていることで、私たちの日常生活は成り立っているのです。
 高槻JCTから新名神へ入ります。ここから先は、私がこの愛車を買った時はまだ開通していなかったので、カーナビは山の中の何もないところを突き進んでいきます。真新しいとても明るいトンネルの中は、減速しないようにという工夫なのでしょう。緑色の明かりが、私が進むのと同じ方向へ流れていきます。しかし、変化のない道は眠たくなるものです。たまらず、3:42、宝塚北SAに逃げ込みました。


 トイレの前に、全国を駆け巡るWILLER EXPRESSのバスが停まっていました。こんな時間にトイレに行くのは大変だろうと思いながら、あのバスの乗客たちがやっていることは私とまったく同じなのではないかと思うと、つい苦笑いをしてしまうのでした。
 さらに先に進むのですが、山陽道に入ると、再び睡魔が襲ってきました。暗闇が延々と続く中の道をひたすら進むという単調な作業をこなすだけの強靭な集中力など、今の私には持ち合わせていません。
 高速道路では、50kmごとにSA、10kmごとにPAが設置されていると聞きますが、次のPAまでの10kmさえ、とてつもなく遠い距離に思えてきます。
 4:30頃、どうにか白鳥PAに滑り込みました。車を停めてシートを倒し、「間に合った……」と思ったのも束の間、すぐに眠ってしまったようです。飲酒運転は自分の意志で防ぐことができますが、居眠り運転を防ぐには、自分の意志にも限界があります。眠気の解消のためには、やはり眠ってしまうのが一番効果的なのです。


 20分ほど眠っていたでしょうか。夢の中でも、私はPAで休憩をしていました。隣に止まった車の子どもたちがトイレに行きたいと大騒ぎする夢から覚めると、周りにはそんな車もなければ子どもたちもおらず、夜明け前の静けさの中に私の車だけが一台、停まっていたのでした。
 眠気はすっきりと解消され、PA内のコンビニエンスストアでコーヒーを買い、再び出発です。
 白鳥PAを出ると、少しずつ空が明るくなってきました。雲が多く、天気がいいとまでは言えませんが、まずまずといったところです。
 倉敷JCTから瀬戸中央道に入り、先月も渡った瀬戸大橋を目指します。
 6:05。瀬戸大橋の途中にある与島PAに立ち寄ります。展望広場に向かう道のところで、大きなキノコが生えているのに気づきました。こんなものがあれば、見つけた子どもが取ったり踏んだりしそうなものですが、こうして残っているということは、コロナ禍による外出自粛の影響で、この夏ここに来る子どもが少なかったということでしょうか。それとも、昔の子どもたちのように、最近の子どもたちはその辺のキノコを採って遊ぶなんていうことをしないのでしょうか。ともあれ、瀬戸大橋をバックにパチリ。いよいよ四国は目の前です。

 坂出北ICで降りて、県道33号線へ。最初に訪れたのは、78番郷照寺です。
7時前、山門前に着くと、ミニバンが1台停まっていました。山門はシャッターが閉まっていて、中には入れないようです。
「しまった。まだ早かったか」
 引き返して、先にうどん屋さんを探しに行こうとしたのですが、ギアをバックに入れたところで、後ろから軽トラックがやってくるのが見えました。これでは後ろに下がることができません。
「万事休す、か……」
と思っていると、軽トラックから運転手が降りてきて、「寺を開けるので通してほしい」と言うではありませんか。やった! 一番乗りだ!


 瀬戸大橋を望む絶景とうたわれる郷照寺の境内から海の方を見やると、白っぽい曇り空に溶け込むように瀬戸大橋が架かっているのがわかります。青空ならもっと気持ちがよかったはずですが、雨が降っていないだけでも御の字です。


 納経所へ向かうと、先ほどの軽トラックのおじさんがいました。私の車のナンバーを見ていたようで、
「東京からですか?」
と声を掛けられ、最後は、
「お気をつけて」
と送り出されました。
 特別なことはなに一つありません。地元の車ではない人に、お気をつけてと声を掛ける。ただ、それだけのこと。でも、それだけのことがありがたいと感じられるのは、夏のお遍路の旅で感じることができた旅の喜びの一つなのです。今回もひと寺ずつ、旅ができることの幸せを噛みしめながら巡っていくことにします。