お出かけ日記ANNEX

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5/3(月・祝) 松山・広島・うさぎ島 瀬戸内まんきつ海の旅3日目~その4~

 開店の時間まで店頭で待っていると、郵便受けに赤いランドセルが再利用されているのを見つけました。このランドセルは、あきちゃんのものなのでしょうか。それとも、別の子のものでしょうか。そもそも、あきちゃんとは誰なのでしょう。実在する人物なのか、それとも架空の人物なのか。何もすることがないと、ついついそんなどうでもいいことを考えてしまします。

 開店と同時に店内へ。まずは風呂上がりの一杯に、生ビールを注文します。ここもビールはキリンラガー。なんとも嬉しい限りです。


 おすすめは、6種類のホルモンだということですが、どれがどんな味なのか、皆目見当もつきません。でも、一度に6種類も運ばれてきたら、最後の方は冷めてしまっているはず。まずはメニューに書かれている順番に、上から3つ注文しました。
「食べ方、ご存知ですか?」


 もちろん、知っています。テーブルの上にあるポン酢と唐辛子を合わせて、それに漬けて食べます。天ぷらが大きい時は、目の前の小さなまな板の上で、小さな包丁で切って食べればよいのです。
「また地元の人ではない人認定されてしまったか……」
 東京に引っ越す前はここと同じ、西区民であった私。でも、福島町というのは広島市内でもなかなかディープなところ。同じ西区内に住んでいても、なかなか来る機会はありませんでした。それが、最近ではここにも観光客も来るということなのでしょうか。
 そういえば、観光で広島に来る人はどこへ行くのでしょう。平和記念公園原爆ドームはすぐに思い浮かぶのですが、あとはパッと出てきません。今日、私が歩いたところで観光客向けの場所といえば、マツダスタジアムくらいです。でも、マツダスタジアムから段原を抜けて比治山下に行く観光客なんて、聞いたことがありません。江波だって、最近でこそ「この世界の片隅に」という映画で知られるようになりましたが、誰もが広島といって思い浮かべる風景だとまではいえません。
 しかし、どんな町にだって見所はあります。大学を出てしばらく暮らした広島ですが、今日、また新たな発見がいくつもあったのです。ならば、新たな気持ちでまた広島を歩くのも悪くはありません。


 このままゲストハウスに戻っても良いのですが、もう一か所、広島の夜の繁華街も覗いておきたいところ。「流れて行くから 流川、やけのやんぱち 薬研堀〜♪」と、南一誠の「広島天国」にも歌われる広島の夜の盛り場です。
 福島町から乗った電車は広島港行きの3号線。このまま乗って行っても夜の盛り場の近くは通らないので、紙屋町で乗り換えることにします。ついでに東中広場のところのトイレを拝借していると、トイレの中までピアの音が響いてきました。
 トイレの前には、ストリートピアノが置かれています。「紙屋町まちかどピアノ」として設置されているもので、誰もが自由に弾くことができます。


「どれどれ……」
 私も一曲弾いてみることにしましょう。広島ということで、これから行く場所が歌われた広島天国もいいのですが、ここは「アオギリのうた」を弾いてみました。
 いつも楽譜を見ないで弾いていますし、その時の気分でアレンジが変わってもいい。音が足りないと思えば足せばいいし、その場の雰囲気で盛り上げたり、静かにしたりすればいい。何より、地下街に自分の音が響き渡るのがすこぶる気持ちいいのです。
「そうか。みんななこうやって楽しんでいるのか」
 どこからか、拍手をいただきました。誰かの心と自分の心が音楽で繋がる、それがストリートピアノの醍醐味でしょう。そしてそれは、本来はすべての音楽の醍醐味であるはずです。
 このコロナ禍で、そういった音楽の醍醐味を味わう機会がぐんと減りました。リモートなどで工夫している人たちもたくさんいますが、その時、その場所で同じ音楽を共有するという喜びを、コロナ禍が落ち着いたらまた多くの機会で味わいたいものです。


 その後、夜の街を覗いてからゲストハウスに戻りました。お店でごはんを食べるには遅い時間だったので、コンビニでパンとビールを買って、ささやかなディナーにします。
 ゲストハウスの共用ラウンジスペースには、昨日レセプションで案内をしてくださった女性と、若い欧米系の男性がパソコンに向かって何やらやっていました。
 こういうとき、同じテーブルに座るのですから、ひと声かけるのが当たり前。日本語で、
「ここでごはんを食べさせてください」
と言ってみたのですが、どうやら通じないようなので英語に切り替えます。すると、欧米系の男性もパッと笑顔になって、どうぞどうぞといった感じで席を勧めてくれました。
 言葉も音楽と同じように、人と人の心をつなぐもの。上手とか下手だとか、そんなことは関係ありません。どこまで通じ合えるかが問題なのです。それに、ごはんを食べたいという思いは、世界のどこの国の人にも通じるはずです。
 新型コロナウイルス感染症は、私たちの心をつなぐ機会をたくさん奪っていきました。でも、ただ奪われるだけでなく、その状況下でもちゃんと心をつなぐということを忘れないことが大切であると思うのでした。