お出かけ日記ANNEX

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8/6(金) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅7日目~その2~

 38番金剛福寺の駐車場に、風向きを考えて車を停めます。あれは確か2011年のこと。強風の中で運転席のドアを開けたところ、風に煽られてドアが180度開いてしまったことがあるのです。それ以来、風の強い日はドアを開けるのに用心しているのでした。
 どうにか無事に車から降りて、寺に向かいます。寺の仁王門の前にも駐車スペースがあったのですが、こちらは風が強く、まともにドアを開ける自信がありませんでした。駐車場脇にある飲料の自動販売機の取り出し口が、風で動いてバタバタと音を立てています。


 お堂の前へ行くと、風が強くてろうそくに火がつきません。ガラスの扉をうまく使って、どうにかつけることができましたが、これはかなり大変です。


 線香を立てる香炉には、ちゃんと蓋がついていました。ここはいつも強い風が吹くのでしょうか。そういえば、大師堂へのお詣りを終えて納経所へ向かおうとすると、お坊さんがどこからか卒塔婆を抱えてやってきました。きっと、見えないところにお墓があるのでしょう。卒塔婆が折れたり飛んだりすることも想定しなければならない風が吹くようです。


 せっかく来たのですから、足摺岬も見ておきましょう。強風の中を歩くのですが、このまま飛ばされるのではないかと不安になるほどの風。展望台からは、断崖の上に立つ灯台が見えるのですが、それすら怖いと感じてしまいます。

 そんな中でも、中浜 万次郎像は微動だにせず立っているのでした。

 岬そばの足摺岬郵便局に立ち寄った時に、
「いつもこんな風なんですか?」
と局員さんに聞いてみると、さすがにいつもはこんな風ではないそうで、台風の接近のせいだと言います。これ以上、天気が荒れないことを祈るばかりです。


 土佐清水からは、国道321をさらに先、大月方面へ向かいます。若い頃、大月の先にある柏島まで行き、海のあまりの美しさに驚いたことがあるのですが、この天気ではどうでしょう。
 国道のあちこちで、「大河ドラマに中浜 万次郎を」という看板を見かけました。桂浜近くの若宮八幡宮では、長宗我部 元親を大河ドラマにという看板で、ここでは中浜 万次郎。高知県は龍馬だけでは物足りないのか、それとも大河ドラマが大好きなのか。
 途中、国道沿いの道の駅 めじかの里土佐清水にでお昼ごはんにします。うどん屋さんがあったので、だしうどん(いわゆる素うどん)を注文すると、メニューに、「当店のだし汁は宗田節(メジカ)を使用しています。おだしの風味をお楽しみ下さい‼︎」と書かれていました。名前のメジカがなんのことかわからなかったのですが、宗田節の原料をこの辺りではメジカと呼ぶそうで、正式名はマルソウダ、カツオの親戚と紹介されていました。


 出てきたうどんは、見た目はごくごく普通のうどんなのですが、汁は確かにうまい。この汁だけ紙コップで売っても良いのではないかと思うほどです。
 店内の手作りの案内地図に、次の札所へ行くには県道28号線を行ったほうが早いと書いてありました。海からは離れてしまいますが、今日は宇和島までの長丁場。早いと言われたら、そちらを選びたくなるものです。
「走りながら決めよう」
 走り出すと、天気も少し回復してきました。このまま海沿いを走るのはきっと気持ちがいいはずですが、先は長い。
「よし。山へ入ろう」
 心を決めて、最後に海の写真をパチリと撮ってから、山へ続く道へと入っていくのでした。


 県道28号線は、走りやすい2車線の道。他の車もいないので、ペースも上がります。でも、そこは四国の道。途中から細くなっていくのはお約束です。
 道は国道をショートカットする形で、元の国道321号線に出ました。空は青空。そして、目の前に広がる青い海。
「やっぱり、柏島を目指せばよかったかな」
 そんなことを考えながら、やはり海の写真をパチリと撮るのでした。


 宿毛から少し内陸側に入って39番延光寺に着くと、私の後に歩き遍路の青年が境内に入ってくるのが見えました。何やら困っているように見えたので、

「何かお困りですか?」

と声をかけてみると、
「困っているといえば、困っているかな」
と、何やら煮え切らない返事が返ってきました。聞いてみると、荷物で肩が痛い、天気があまり良くないのに今日の宿も見つけていない、修行のために来ているというのに……と、情けないことを言うではありませんか。
 いやいや、そういうことではないのです。灯明に火をつけるときに難儀しているように見えたので声をかけたのです。すると、
「風で線香に火がつかないんです」
というので、彼がライターで火をつける間、手で風よけを作りました。ただそれだけのことなのに、彼からはものすごく感謝されたのは意外でした。
 しかし、今の彼に誰かを頼り、その親切を受け止めるだけの心の余裕があるのだろうかと考えさせられたのです。彼が歩いてお遍路をしている理由は私にはわからない。でも、何か自分なりの重荷を背負って歩いているのかもしれない思ったのです。だったら、自分のことだけで精一杯というのも無理はありません。


 寺からの帰り道。一人で歩いている彼を見かけたので、ひと声かけようかと思ったのですが、スマートフォンを何やら操作しながら歩く彼の姿を見て、それはやめておこうと思いました。今の彼にとって、同行二人のもう一人はスマートフォンなのです。目の前にいる人間よりも、そちらの方が安心するのかもしれない。そう考えると、私が邪魔をしない方がいいだろうと思ったのでした。