お出かけ日記ANNEX

お出かけ日記(https://ameblo.jp/porori-h/)の別館です。

8/8(日) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅9日目~その1~

 そもそもこの旅は、トイピアノ奏者けいぴゃんの実家から東京まで、楽器を車で運搬するためのものです。9日目にして、ようやく旅のメインイベントが始まります。
 6:30頃、けいぴゃん実家そばの駐車場に向かいます。お遍路の旅をしているうちに車の中はいろいろと散らかりましたが、30分もあれば片づくでしょう。
「8:00頃に出発しましょう」
なんて話していたので、7:00すぎから楽器の積み込みができれば間に合いそうです。それならばと思い、7:00前に連絡を入れてみたのですが、まだ準備ができていないと言われました。
 結局、積み込み作業が始まったのは7:30すぎ。楽器の積み込み自体は10分ほどだったでしょうか。でもけいぴゃんはまだ自分の準備が終わらないということで、再び実家の中へと戻ってしまいました。
「お茶でもどうぞ」
とお父さんが促します。一応遠慮はしてみるものの、お父さんは玄関を開けて、
「どうぞ」
と待ち構えています。もう完全にお父さんのペースです。結局、準備が終わって出発したのは8:08のことでした。
 朝ごはんは、元うどんやさんだったというお父さんおすすめのうどんやさんに行くことになっていました。お父さんが運転する日産ティアナの先導で向かうと、あちこちにうどん屋さんの看板が立ち並び、どれが目当ての店だかわからなくなるほどです。お父さんは、
「丸亀では、石を投げればうどんやに当たる」
なんて言っていましたが、その通りかもしれません。


 着いたお店は、よしやといううどんやさん。人気店らしく、駐車場の入り口には整理員が立っています。よくよく見てみると、駐車場の車は県外ナンバーばかり。八王子、相模、大阪、山口……。地元の香川ナンバーは、探さなければ見つかりません。
 いただいたのは、ぶっかけうどん。シンプルなのがうん、うまい。あっという間に平らげてしまいました。


「どっちで行くん?」
 うどんを食べながら、お父さんに聞かれました。四国と本州を結ぶルートは3つ。そのうち香川から東京方面へ向かうには、距離が短くて道路が空いているのは大鳴門橋明石海峡大橋で本州へ渡るルートです。でももう一つ、瀬戸大橋を渡るルートもあります。
「まだ決めていないんですよ」
「まぁ、好きな方にしたらええわ」
 お父さんと別れると、いよいよ東京への旅の始まりです。
「よし。東京へ向かうぞ!」
 気合い入れて、これからの長旅に備えるのでした。
 坂出ICを入ると、すぐにどのルートで行くかの選択を迫られました。ここで道が二手に分かれるのです。
「じゃあ、瀬戸大橋で行きます」
 四国に来るときは明石海峡大橋を渡ったので、瀬戸大橋に決めました。時間は少し余分にかかりそうですが、それほど大きな違いはないでしょう。


 瀬戸大橋に差し掛かるあたりで、けいぴゃんがTwitterで生配信を始めました。そのトークは、相変わらずのマイペースっぷり。運転しながらけいぴゃんのトークにツッコミを入れてみるのですが、手ごたえはありません。糠に釘というか、のれんに腕押しというか、ツッコミが彼女に効いている実感がないのです。
 山陽道に入り、岡山県から兵庫県に入ったところで、けいぴゃんが再び、
兵庫県に来ました~」
Twitter配信を始めました。このままいけば、県境を跨ぐたびに配信をするのかもしれません。
 山陽姫路東ICで山陽道を下り、バイパスへと向かいます。電光掲示板によれば、加古川バイパスの加古川橋で事故渋滞が起きているとのこと。少し進むと、確かに渋滞が始まりました。それも、加古川橋からはずいぶん手前です。
 そこで、バイパスの渋滞を避けて国道250号線へ迂回します。明石の川崎重工あたりで多少混んだものの、当初の予定より少し遅れたくらいで山陽明石へ。わざわざ高速を降りてまでここへ来たのは、大好きな玉子焼き(明石焼き)を食べるためです。


 以前からお気に入りのお店、松竹さんは駅前にできたきれいなビルの中に移転していました。でも、店構えは以前の雰囲気そのままです。そして、店の前にはやっぱり長蛇の列ができています。相変わらずの人気っぷりです。
 並んでいる間にお店の方が注文を取り、席につくとすぐに出てきました。ふわふわの玉子焼きを、まずは出汁につけずにそのままパクリ。熱い! でも、これがうまいのです。

 それから、出汁につけてパクリ。出汁と三つ葉の香りも合わさって、また違う味わいです。


 私は1枚くらいペロリと食べてしまうのですが、けいぴゃんは朝のうどんがまだ腹に残っていると言い、
「ちいたろうさん、手伝ってください」
と、いくつか分けてもらいました。ありがたくちょうだいします。
「よし。東京へ向かうぞ!」
 あれ? 四国を出発するときにも同じことを言ったような気がしますが、それでいいのです。人生と同じ。何度も仕切り直しをして、何度も新たなスタートを繰り返していいのです。
 須磨で給油をしてから阪神高速に乗ります。ここは行きと同じ道を通ることになりますが、それは仕方ありません。
 当初、けいぴゃんは自分で東京まで走るつもりだったそうです。でも、周囲の人たちに危ないといって止められたとのこと。そこで、行きは私が楽器を運ぶことになりました。だから、西宮からの名神高速に入ったとき、
「まっすぐで走りやすそう」
と助手席で呟いたのです。
 さっき、県境を跨いだころで配信を始めたので、
「もう少ししたら、大阪ですよ」
と声をかけると、案の定、
「大阪に来ました~」
と、Twitterの生配信が始まりました。
「ほら、どこからどう見ても大阪らしいでしょ? この空とか、標識とか、道とか……」
 もう、言っていることがグダグダすぎて、ツッコミようがありません。正論をそのままぶつけることだけがツッコミではなく、そこから話を膨らませたり、展開させたりするのがツッコミの役割なのでしょうが、私ではまったく歯が立たないのでした。

8/7(土) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅8日目~その5~

 高松道善通寺ICで高速を降りると、なんだか四国の旅がもう終わってしまったかのような気がするのはなぜでしょう。この後お会いするトイピアノ奏者けいぴゃんのライブのときにこちらに来たことがあるからでしょうか。でも、それなら以前通ったことがあるところは今回の旅で何か所もあります。その時には、四国の旅が終わるという感覚はなかったのです。こういった感覚というのは不思議なもので、旅を終えると忘れてしまいます。だからこそ、こうやってお出かけ日記をつけておくと、後になって振り返ることができるのです。
 19:40、丸亀のけいぴゃん実家に到着しました。こんな時間ですが、けいぴゃんのお父さんとお母さんの歓待を受けます。
「夕飯は食べたのか?」
「風呂は? 先に入るか?」
「(車に)荷物積むのに、鍵、預かろうか?」
などなど、けいぴゃん父に矢継ぎ早に聞かれます。今日はこの後ゲストハウスにチェックインしなければならないことや、車内の片づけをしないと楽器が積めないことなどを説明し、とりあえずけいぴゃん父の車ティアナでゲストハウスまで送っていただくことで落ち着いたのでした。
 ゲストハウスへ行く途中、銭湯を見かけました。
「風呂は銭湯を利用するように言われているんです」
と伝えると、
「ここまで来るんか?」
とけいぴゃんのお父さんに驚かれ、
「お風呂に行くときは、車で送迎します」
とまで言っていただきました。なんというVIP待遇でしょう。


 丸亀ゲストハウス ウェルかめは、丸亀商店街の中にありました。チェックインのときに、
「Booking.comで予約されましたか。次は直接、お願いします」
と言われました。悪いことをしたのかと思い、すみませんと謝ると、
「いやいや。うちは手数料を払わなければなりませんから」
と、なかなか正直なオヤジさんです。
 ひと通り館内を案内された後、
「お風呂やさん、20:50頃には占めるので、急いでください」
と言われました。教えられた銭湯「城北温泉」は、やはりけいぴゃんのお父さんの車から見たところ。ゲストハウスの自転車を借りて行くことができるようです。
 銭湯へ行こうとすると、
「お酒、好きですか?」
と宿主のオヤジさんにそう聞かれたので「ハイ」と答えると、
「いいお店紹介します」
と言います。これは期待大です。
 城北温泉はおばあちゃんが番台に座る、昔ながらの銭湯です。おばちゃんは風呂上がりの男性客と一緒に、男湯と女湯を隔てる壁の上に置かれたテレビで、東京オリンピックの野球の決勝戦を観戦していました。


 洗い場で体を洗おうとすると、湯の方のカランからは熱湯が出てきました。
「うおぅっ! ここもか!!」
 高知の銭湯でも熱湯が出てきてびっくりしたのですが、四国はどこもこうなのでしょうか。
 私が脱衣場に戻ると、私が入ったときに湯船の中にいた大学生くらいの若い男性グループも上がろうとしていました。すると番台のおばあちゃんが降りてきて、脱衣場の灰皿の準備をしていました。きっと彼がここでタバコを吸うことを知っていて、先に用意しようというのでしょう。今の時代にまだ、脱衣場でタバコが吸えるとは。やはり、昔ながらの銭湯です。
 風呂から上がれば、楽しみなのがビールです。宿に戻り、早速オヤジさんに居酒屋へ連絡してもらいます。嬉しいことに、ゲストハウスから歩いてすぐのところにあるらしいのです。
 三太郎というその店は、骨付き鶏の超有名店、一鶴本店のすぐそば。そこでうまい骨付き鶏を出すというのですから、楽しみです。


 店に入ると、すでにカウンターの一番手前に私の席がセッティングされていました。まずは生ビールを注文。風呂上がりの生ビールは最高です。
 早速、骨付き鶏はひな鶏、親鶏のどちらがよいかと聞かれました。
「食べやすいのはひな鶏で、美味しいのは親鶏です」
と説明されたら、当然親鶏を注文するしかありません。
「カンパチが一人分、できますよ」
 厨房に戻った大将がそう言うので、もちろん注文。あれ? 骨付き鶏がうまい店じゃなかったかな? 看板には「やきとり」とも書かれていましたが、魚も美味しいのでしょうか。
 お通しのなすの煮浸しは紫色が美しく、少し甘めの味つけが美味しくてお替わりしたいくらいです。一緒に出てきた千切りキャベツも、つまみにちょうどいい。


 先に出てきたのは、もちろんカンパチです。身の甘さといい歯応えといい、完璧です。私が「美味しい」と言うと、大将は、
「地の魚です」
と笑顔で答えます。


 なすも魚も、そしてこれからいただく親鶏も、自分が自慢できるものをお客さんに提供している居酒屋。
「いい店を紹介してもらったな」
と、この時点ですでに大満足です。
「お遍路、回っているんですか。すごいですね」
 カウンターでビールをいただいていると、目の前の焼き担当のお兄さんに話しかけられました。初めてのお店ですが、こんな風にお店の方と世間話をしながら飲むビールは最高で、あっという間にジョッキが空になってしまいます。まだ骨付き鶏が焼き上がっていないのに、お替わりが必要です。
 やがて親鶏が焼き上がりました。
「食べやすいように切りましょうか?」
と、焼き担当のお兄さんが申し出てくれます。なんと嬉しいサービスでしょう。

 まず、香りだけで白ごはんが食べられそうです。ビールにピッタリの味つけは、以前食べた骨付き鶏よりは控えめ。ですが、決して味が薄いわけではありません。スパイシーさとい一緒に、肉のうま味が存分に楽しめるのです。お腹に余裕があれば、お皿の脂を白ごはんにかけて食べたいほどでした。
 食べ物の美味しさもさることながら、居心地の良いお店に大満足。いつもはこんなにビールばかり飲まないのですが、この夜は日本酒を頼むことなく、楽しく美味しく丸亀の味を堪能したのでした。

8/7(土) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅8日目~その4~

 国道194号線を下りていくと、四国でよく見かける八十八霊場を案内する看板を見付けました。時刻は15:30。山を下りたのですから、いくつかまた寺を巡るのも悪くありません。
 看板に書かれていた札所の名前は、60番横峰寺。冬季は寺へ通じる林道が通行止めになるため、車で行くことができなくなる難所です。
「横峰さんへ行っておけば、後が楽だろう」
 そう考えて、ハンドルを左に切ります。
 走っているうちにトイレに行きたくなりました。そんなとき、寺へ行くバスの乗り場が見えてきたので、トイレを貸していただくことにします。


 バス乗り場は、ここまで車に来てバスに乗り換える人を想定しているのか、車が停められるようになっていました。運転手らしい人が、小さな小屋へ入っていきます。おそらく、あそこがトイレです。私も後に続きます。
 すると、運転手らしいその人に、
「どこへ行く?」
と聞かれました。
「横峰さんまで上がりたいのですが、有料道路で行くかバスで行くか、考えているんです」
「車は?」
「軽四です」
「だったら、車で行き。自由が利くけぇ」
 バスの運転手さんならバスに乗ることを勧めてもよさそうなものですが、自分で上がるように言われました。後になって考えてみれば、こんな時間からバスで横峰寺へ上がる人など他にはおらず、私のためだけにバスを運行して下りてくることになるからだったのかもしれません。
 最後に男性が、
「ここ、公衆(トイレ)やないで」
と言いました。しまった、従業員用だったようです。
「失礼しました。ありがとうございます」
とお礼を言って、スタコラサッサと車に戻ったのでした。
 60番横峰寺へ通じる林道は、有料道路。料金所で通行料金1,450円(軽四輪)を支払います。ちょうど細かいお金がなく、1万円札を出したのですが、嫌な顔ひとつせずにおつりを用意してくれました。
「道路施設、駐車場、お寺への歩道などの管理維持費に充当しています」とありましたが、1,450円というのはなかなかいいお値段です。
 料金所のおっちゃんが私の真っ赤な車を見て、
「この車、よう目立つなあ」
と言いました。でも、おつりを準備しているおっちゃんは、ブースの中にいる別の人。つまり、こんな山の中の料金所に2人もいるのです。
「この車じゃ、悪いことできないんですよ」
「悪いことしたらだめだって」
なんてやり取りをしながらおつりを待っていたのですが、1,450円は間違いなく、おっちゃんたちの人件費にも充当されているはずです。
 林道は急カーブや急こう配が続き、対向車も下りてきます。こんな道は四国のどこにでもあって、車でお遍路ができる人は、全国どこだって車で走れるだろうと思うのです。


 駐車場に着いて寺へ向かおうとすると、坂を下っていくようです。これまでに訪れた寺はどこも駐車場よりも高いところに寺がありましたが、ここは逆。ということは、帰りは延々と上り坂が続くということ。
「行きはよいよい、帰りは辛い、か……」
 お遍路で寺を巡っていると、よくもこんな山の中に寺を建てたと思う札所がいくつもあります。ここ横峰寺もそうです。寺の案内看板によれば、「標高750m。八十八霊場のうち第3番目の高さにあり、四国遍路における三番目の関所です。」とあります。この関所のところに※がついていて、下にその説明がありました。


「『関所』悪いことをした人、邪心を持っている人は、お大師さんのおとがめを受けて、ここから先へは進めなくなるといわれています。」
 その関所は4つあり、19番立江寺、27番神峰寺、60番横峰寺、66番雲辺寺なのだそうです。
 他の3つの札所は険しい山だとわかっていますが、19番立江寺は町の中の寺。関所と難所はイコールではないようです。
 しかし、この横峰寺は八十八ヶ所屈指の難所と言っていいでしょう。林道が開通したのが、1984年(昭和59年)というので、それまでは歩いて登らなければならなかったということなのでしょう。
 静かな山の中の寺は、そこにいるだけで心が洗われるようです。お遍路さんでにぎわう時期はまた違うのかもしれませんが、一人でそこにたたずんでいるというそれだけのことが、何か特別のことのように感じられます。


 再び林道を下っていくと、料金所にはもう誰もいません。もうすぐ17時。納経所がそろそろ閉まるので、これから上がるお遍路さんはいないという判断でしょうか。さきほどのバス乗り場に行っても、人の気配はありませんでした。そればかりか、バス乗り場近くの車道には大きな犬が3~4頭歩いています。首輪がついていたように見えたので、放し飼いなのでしょうか。いくら山の中で誰も来ないような場所とはいえ、何ともワイルドです。
 黒瀬湖のところから県道142号線に入ります。山を下っていくときに、時折遠くに瀬戸内海が見えます。
「ああ、懐かしい」
 広島で生まれた私にとって、子どものときの身近な海は瀬戸内海。それからいろいろな海に出かけましたが、穏やかな瀬戸内海の風景は、やはり格別なのです。
 今日は丸亀まで走らなければならないのですが、残りのガソリンでは丸亀まで走れそうにありません。だったら行けるところまで下道で行って、途中から高速に乗ることにしようと思っていたのですが、国道11号線は流れが悪く、このまま行くと、丸亀に着くのは深夜になってしまいます。ガソリンも入れたので、次の新居浜ICから松山道に乗ることにします。


 高速道路を走っていると、瀬戸内海の向こうに夕日が沈んでいくのが見えます。刻一刻と色が変わっていく空を見るのは楽しい半分、暗くなっていくのが寂しくもあります。豊浜SAでしばし空を見て、さらに先を急ぐのでした。

8/7(土) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅8日目~その3~

 44番大宝寺に行こうとすると、寺のすぐ手前の道が工事のために通行止めになっていました。こんなに山の中で工事通行止めだと、本当にこの先に行けるのだろうかと心配になりますが、指示されたう回路を通って、無事に44番大宝寺に到着しました。


 色鮮やかな緑に囲まれた美しい寺です。青い空の下、木の葉が輝いて見えます。手水舎では、冷たい水が豊富にあふれていました。
 境内には外国人男性と日本人女性のカップルがいました。女性は熱心にお詣りしているのに対して、男性はお詣りに興味があまりないようです。でも、寺そのものには興味があるようで、じっくりと建物を見てまわっていました。


 私がお詣りをしていると、後ろの石段のところから大きな音がしました。さっき、お堂のところで女性とすれ違ったので、
「もしかして、転落したか?」
と心配になり、あわてて石段のところへ行ってみると、女性は歩いて石段を下りていて、落ちていったのは、どうやら彼女の金剛杖だったようです。
「ああ。やっぱり弘法大師さんだ……」
 弘法大師はこうやってお遍路さんを救うこともあるのだと、その時の私は直感的にそう思ったのです。
 神仏の存在を感じたり信じたりすることは、いろいろな宗教に共通する部分でしょう。神仏が本当に存在するかどうかといったことは別として、そういう意識をもつと、身の回りの事象の捉えが変わってきます。私は仏教徒ではありませんが、そういった視点をもつことで、自分の視野が広がってくるのではないかと思ったのです。
 県道に戻って再び岩屋寺方面へ向かいます。この道はこのまま石鎚山へと続いているのです。天気は最高。行かない理由は見当たりません。
「決めた。石鎚へ行こう」
 でも、この道の途中には店が全然ありません。地図を見ると、この先におもごふるさとの駅というのがあり、「鮎やアメゴ 川の幸山の幸が味わえる」と書かれていました。山の手前の最後の店はおそらくここだろうと見当をつけて、まいたけごはんのおにぎりとお茶を買い求めると、あまり期待はしていなかったおにぎりがとてもおいしく、逆に、たっぷりの水で冷やされていたペットボトルのお茶が、あまり冷えていなかったのは期待外れでした。


 さらに進んでいくと、コンクリートでできた石鎚山の大きな鳥居が見えてきました。これをくぐれば、いよいよ石鎚スカイラインです。
「待ってろよ、石鎚スカイライン
 これからの山道を前にして、気持ちがワクワクしてきます。


 スカイラインといっても、最初の方はそれほど眺望はよくありません。しかし、狭いカーブを次々と抜けながらどんどんと高度を稼いでいくと、
「上の方はどうなっているのだろう」
と期待させてくれます。
 対向車線を、郵便屋さんのカブが下りてきました。日本全国どこにでも配達するのですから、石鎚山の上でも行くのは当然なのですが、こんな道をカブで走れるのは羨ましい限りです。
 切り立った山肌に、北の愛媛県側から雲が当たって、南の高知県側へは風だけが抜けていきます。ここは天気の境目。私は今、四国の空の境目を走っているのです。


 車を停めてそんな景色を眺めるのですが、ここでも大きな蜂の羽音があちこちから聞こえます。嫌だなあと思うのですが、周りの人はそれほど気にならないのか、平然としています。人によって違うのでしょうか。そういえば学校に通っていたころ、黒板を爪でひっかく音がダメな人と平気な人がいましたが、それと同じなのかもしれません。
 町道瓶ヶ森線にはUFOラインという愛称がついていました。
 尾根を縫って走る道から南を見ると、遠くに太平洋の海の青さが目に入ります。

 


「やはり来てよかった」
 こちらに来たせいで、46番以降の札所へ行くことはできなくなりましたが、寺巡りはまた次の機会にすればよいのです。松山空港から始めれば、46番浄瑠璃寺へ行くのは簡単です。でも、次に来るとき、余裕をもって石鎚に上がれるかどうかはわからないのです。旅は一期一会。どちらがよかったかはわかりませんが、常に自分が「よかった」と思える旅にしていくことが大切なのではないでしょうか。
 旧寒風山トンネルで愛媛県側へ抜けようと思い、
「もう少しで山道も終わるぞ」
と自分に言い聞かせながら下って行ったのですが、トンネルの手前には通行止めの案内。どうやら2020年9月の台風10号の影響で、トンネルの向こう側が崩落しているようなのです。日本列島の大きな4島の中で一番面積の小さな四国ではありますが、お遍路の地、四国よ。あなたは日本の島々の中で、決して最も小さなものではない。険しい山も海もあり、穏やかな山も海もある、変化に富んだ島なのです。
 さらに山道が追加され、いくら山道大好きな私でもお腹いっぱい。寒風山トンネルの南側で国道194号線に出たときには、山道から解放されてホッとしたのでした。
 全長5,432mの寒風山トンネルの向こう側の天気は雨。やはり空の境目であったようです。ワイパーを連続で作動させても前が見えにくいほどの本降りですが、それも山の近くだけ。山から離れていくにつれて振り方は弱まり、そのうちに晴れ間も覗くようになっていました。
「そういえば、今回の旅では雨に降られていないなぁ」
 傘をさしてお詣りした寺は一か所もありません。寺を巡ってきた効果なのかもしれません。それがつくづくありがたいなあと感じるでした。

8/7(土) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅8日目~その2~

 仏木寺の前を通る県道で峠を越えて、西予市へ入ります。道路地図ではわからなかったのですが、43番明石寺は再び山の寺でした。この後の44番、45番と山の寺が続くので、その小手調べといったところでしょうか。
 駐車場に車を停めて、坂道を歩いて登っていくと、私が停めた駐車場よりも上にも駐車場があるようです。さっきの駐車場での一件もあるので、ここはそのまま、帰りも歩くことにします。
 寺までの坂道を歩いているときに、私のすぐ横をタクシーが上がっていきました。寺の石段のすぐ手前で停まると、中年の男性が納経帳を手に降りてきます。彼はタクシーを待たせたまま、石段を上がって行きます。


 彼はひとり、何を思って寺を巡っているのでしょう。いや、私も移動手段が違うだけで、他の人からすれば、なぜ八十八カ所を巡っているのだろうと思われるのかもしれません。
 何か神仏にすがらなければならない状況ではありません。何か深く後悔し、それを贖うために巡っているわけでもありません。
 なぜ寺を巡るのか。それは、なぜ旅をするのかということと同じかもしれません。絶対にやらなければいけないという必要性はないのです。しかし、それによって自分自身を磨いたり、自分自身を高めたりすることができたと感じるのです。自己満足と言われればそれまでですが、自己満足もできずに生きるというのは虚しいものだと思います。


 大洲を抜けるときに、弘法大師が野宿をしたという十夜ヶ橋にも立ち寄ってみます。有名な橋ではありますが、そんなに大きな川ではないことに驚かされます。もっとも、昔は大きな川に橋を架けることは容易ではなかったはずですから当たり前なのですが。


 44番大宝寺と45番岩屋寺は、同じ県道12号線沿いにあります。さらにその先の札所を目指すのなら、45番から44番と逆に回った方が効率がよさそうです。
 松山へ向かうメインルートの国道56号線から川に沿って走る国道379号線に入ると、一気に道の雰囲気が変わりました。深い緑の山々を眺めながらコーナーを気持ちよく抜けていくのは楽しいのですが、ずっとそればかりだとさすがに飽きてきます。そのせいか、国道380号線に入ると猛烈な眠気に襲われました。このままでは危険なので、道の駅 小田の郷せせらきで小休止。まだまだ先は長いのです。
 ここから先は道が狭くなるものの、他に車がいないので引き続き気持ちよく走ることができます。さらに、空もどんどん青さを増していくようです。
「こんなに天気がいいのに、このまま寺巡りを続けるべきなのだろうか」
 昨夜、土佐鶴を飲みながら立てた計画では、今日は松山あたりまで寺を巡り、夕方に道後温泉に入ってから今日の宿泊地である丸亀へと向かうつもりでした。しかし、それではもったいない気がしてきたのです。


 道を走っていると、看板に「石鎚」の文字が見られるようになりました。愛媛と高知を隔てる、四国の中央を貫く石鎚山からの眺めがよいことは、かつて走ったことがあるので知っています。
「久々に行こうかな、石鎚」
 ともあれ、まずは愛媛の序盤の難所、2つの山寺をクリアするのが先決です。
 45番岩屋寺の駐車場は300円。料金箱にお金を入れるようになっていましたが、あいにく小銭がありません。近くの店に行き、
「駐車料金を払いたいので両替をお願いします」
と1000円札を出すと700円を返されました。
「300円、いただきました」
と言われましたが、なるほど。この駐車場は寺のものでなく、民営というわけなのだとわかりました。


 看板には、「岩屋寺 徒歩20分」と書かれています。こう書かれたら、俄然ファイトが湧いてくるのです。
 山の中の参道をひたすら歩きます。結構勾配があるので、途中で息が上がってしまうのですが、目標タイムは徒歩20分。悠長に休んでいる暇はありません。


 いや、本当は何分かけて歩いたっていいはずなのです。ただ、徒歩20分と書いてあるのにそれよりも多く時間がかかったら、誰かに負けたような気になってしまう。だからついムキになってしまうというのが、私の悪い癖なのです。 
 結局、看板から鐘楼のところまで一気に歩いて、かかった時間は12分。本堂まではまだ少しありますが、とりあえず、徒歩20分は切れたのでよしとしましょう。
 本堂、大師堂とお詣りしてから、岩肌に開いている大きな穴、法華仙人堂跡を眺めます。そこへ行くためには、切り立った岩肌に立てかけられた梯子を上がらなければなりません。しかし、けっこう高さがあります。あの梯子だけで上り下りするのかと考えると、一瞬上ることを躊躇したのですが、
「ええい、ままよ」
と、せっかくここまで来たのだからと、上がってみることにしました。当然、梯子も岩屋も実にスリル満点。もしここで、
「怖くて降りられない」
となった人はどうやって救出するべきかと、真剣に考えてしまいました。


 岩屋から降りると、小学校中学年くらいの男の子が虫取り網を持って蝉を探していました。
「捕れた?」
と声をかけると、はにかんだ顔で、
「1匹」
とだけ答えてくれました。最初は誰かのお詣りについてきた子どもかと思ったのですが、それらしき親御さんの姿はありません。後で納経所へ行ったとき、そのすぐ脇の戸を開けて中から出てきたのがこの子だったので、このお寺の子なのでしょうか。だとすれば、さっき私が12分で上がってきた道を往復してここから毎日小学校へ通うのはさぞ大変だろうと、そんなことを考えてしまうのでした。

8/7(土) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅8日目~その1~

 今日はいよいよお遍路最終日。当然、八十八ヶ所の残り全部を1日でまわれるわけがありませんので、次回に持ち越しです。行けるところまで行くことにしましょう。
 ホテルを出ると、路面はまだ濡れているものの、昨日の雨は上がっています。まずは宇和島からほど近い、41番龍光寺を目指します。


 お詣りをして納経所へ行くと、
「今日はもう3人来ましたが、まだお経が聞こえませんなぁ」
と寺の方に言われました。こちらが、
「最近は心の中か小声での読経を進めているんですよね」
と思わず言ってしまったところで、寺の人と目が合ったのです。
 しまった。果たして自分は、ちゃんとこれをやっているのか。40か所以上の寺をまわりながら、一つひとつの寺に敬意をもってお詣りをしているのか。そんなことを問われた気がします。次の寺は、きちんとお詣りすることを心がけることにしましょう。
 次は42番仏木寺。仁王門をくぐり、最初に見えたお堂できちんと般若心経を読むことにします。信教の自由とはいえ、ここはお遍路のしきたりに従うことも大切です。


 しかし、よく見ると、このお堂に祀られているのは不動明王
「しまった。本堂でも大師堂でもなかったのか……」
 もしかするとここが、旅を変えるきっかけは始まっていたのかもしれません。
 納経帳に朱印をいただき、駐車場に戻って出発すると、駐車場を出るところで「ガリガリガリ……」と大きな金属音がしました。
「しまった! やってしまった!」


 車を降りて見てみると、左の前輪が駐車場の出口の石を乗り越え、その石がボディの下に挟まっています。どうにか脱出をしようとしてみるのですが、その石で車が浮いている状態になっているのです。ならばと、前輪に石を咬ませて脱出できないかとやってみるのですが、タイヤが回った時に石を飛ばしてしまうようで、どうにも歯が立ちません。
「大丈夫ですか?」
 昨日、37番岩本寺でも見かけた原付2種のライダーさんが声をかけてくれました。しかし、人間の力でどうにかなりそうにありません。
「ありがとうございます。なんとかします」
と答えると、彼は次の札所へと走って行きました。
 さあ、とりあえずは落ち着きましょう。こういう時は、まずはジャッキアップして車の下の石を外さなければなりません。車載のジャッキを探すのですが、最近の車はスペアタイヤを積んでいないせいもあって、ジャッキが搭載されていないようです。
「万事休す、か……」
 こうなったら、自分ではどうにもできません。JAFを呼ぶしかないかと途方に暮れていると、
「どうした?」
と、軽自動車に乗ったおじさんに声をかけられました。その軽自動車はずいぶん前に停まって、おじさんが誰かと話していたのは気づいていたのですが、話が終わって私の様子を見たようで、
「こりゃあ、ジャッキで上げんにゃあ無理じゃ」
と言いました。
 確かにその通り。でも、私の車にはジャッキがないことを伝えると、おじさんは、
「ちょっと待っとき。大きなジャッキ、持ってくるけん」
と言って軽自動車に乗り込み、
「2〜3分で帰ってくるけん」
と言いながら山の方へと走り去って行きました。
 果たして、おじさんは本当に現れるのでしょうか。もし戻って来なければ、その時にJAFを呼べばいい。そんなことを考えていると、ほどなくおじさんが軽トラに乗って現れました。荷台には、車載工具として入っていたパンタグラフ式のジャッキではなく、大きな油圧のジャッキと板切れがちゃんと載っています。
 おじさんのジャッキを借りて私の車の下に入れると、なんとか地面について車を上げられそうです。棒を借りてジャッキを操作しようとすると、おじさんはジャッキと車の間に板切れを挟むのを忘れません。そして何度も棒を上げ下げするうちに車が少しずつ持ち上がり、下に挟まっていたコンクリートのブロックが動くようになりました。最後は私が車を押して傾けて、ブロックとジャッキを外すことに成功。助かったのです。
 私がお礼を言うと、おじさんは、
「ここ、みんなやるんよ」
と、いつものことだと言わんばかりにそう言うと、ジャッキを手早く片づけて、まるで何もなかったかのようにさっと軽トラに乗り込みました。
「ありがとうございました」
 私がもう一度言うと、
「もし心配なら、どっかでちゃんと車の下、見てもらい」
と言って、走り去って行きました。
 お遍路を経験した人からは、奇跡的な話を聞くことがあります。中でも、いろいろな人が「お大師さまに会った」と感じているようです。
 大なり小なり、遍路旅の中で誰かに助けてもらう経験をしたお遍路さんは少なくないことでしょう。それを単なる偶然と言ってしまえばそれまでですが、それが自分自身を変えるきっかけになったとしたら、そこで出会った方はお大師さまなのかもしれません。
 よくよく考えてみれば、私はとてもラッキーでした。石に乗り上げたこと自体はラッキーとは言えませんが、積んであった石を崩しただけなのです。車も、走行に影響がないばかりか、見た目にも影響がない。何より、相手がいないので誰も傷つけずに済んでいるのです。
 旅をしながら、どこへ行っても一人でなんとかしてきたと驕り高ぶっていたのかもしれません。でも、それは大きな間違いで、無事に旅ができるのは誰かのおかげなのだということを教えてくれたのです。
 旅の中で、旅人は限りなく無力です。その場で生かされながら、貴重な経験をさせていただいているに過ぎません。それを「ありがたい」と思えるようになったのは、紛れもなく、あのおじさんのおかげなのでした。

8/6(金) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅7日目~その3~

 宿毛を過ぎると、高知県から愛媛県へと入ります。以前、クッキーハウスさんつながりで知り合った方から、愛媛のこのあたりの情報をいただいていました。愛南町の話だと聞いていて、
「そういう名前の町があるんだ」
と思っていたのですが、近づくうちに気がつきました。
「ああっ! 御荘のことだったのか!」
 以前、御荘にの南レクに展示されている紫電改を見に来たのを思い出しました。やはり、平成の大合併で地名の迷子になっていたのでした。
 40番観自在寺からはいよいよ伊予の国。八十八箇所も半分が終わったような気がします。霊場会のサイトによれば、ここ観自在寺は1番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」呼ばれるとありました。半分が終わったと思うのも、あながち間違いではないのかもしれません。しかし、札所の数はまだ半分に到達していないばかりか、難所とされる札所がいくつも残っています。この後も一つひとつ、地道に巡っていくことにします。


 納経所が本堂の中にあるのは、6番安楽寺以来です。何か悪いことをことをしているわけではないのですが、ちょっと緊張しながらお詣りしました。
 境内には、托鉢の姿をしたタヌキの置き物がありました。こんなものを置かれたら、ついついお金を入れてしまいます。他にも、十二支守本尊八体仏という石仏が並んでいて、一つひとつの仏さまに水をかけていきました。何か特別な願い事があるわけではないのですが、こういったことを続けていると、不思議と気持ちが落ち着くのです。


 車に戻ろうと仁王門をくぐると、門前でお互いに一眼レフで写真を撮り合う夫婦がいました。
「一緒にお撮りしましょうか?」
と声をかけたのですが、女性の方が丁寧に遠慮されました。
「声をかけて、悪いことをしてしまったかなぁ」
 もしかしたら、一緒に写真に写りたくなかったのかもしれない。そんなことを考えていると、東京のナンバーの私の車を見て、
「どのくらいまわられているのですか?」
と聞かれました。よかった、邪魔をして気を悪くしたわけではなかったようです。
「2日に1番霊山寺を出発して、5日目でここまで来ました」
と話すと、驚いておられました。それは、軽自動車で回ってきたことに対してなのでしょうか。それとも、5日間という日数が短いと思われたのでしょうか。
 車でお遍路をする方々は、いったいどれくらいで回るのでしょう。旅が長くなればなるほど、宿泊費もかかります。車中泊で巡るという強者もたくさんいるようですが、それでも食費がゼロになるわけではありません。お遍路というのは、なかなかお金がかかる旅なのです。
 国道56号線をそのまま行けば、今日の宿泊地、宇和島です。次の札所までは50kmもあるので、寺へ行くのは明日の朝にしましょう。
「菊川の山田のじゃこてんも食べてね」
 その方からは、こんなメッセージもいただいていました。まるで、名探偵コナンの暗号のようなメッセージです。でも、今は便利な世の中。
「菊川 山田 じゃこてん」
スマートフォンに入力して検索すると、山田商店というお店がヒットしました。カーナビに住所を入力して、行ってみることにします。
 国道沿いに店はあったのですが、あまりに店っぽくなかったので、思わず一度通り過ぎてしまいました。カーナビで通り過ぎてしまったことに気づいて、少し戻ります。
 お店に入ると、オヤジさんが出てきて、「いきなり余所者が何をしに来た?」といった雰囲気を醸し出していたのですが、
「御荘出身の方に聞いて来ました」
と言うと、オヤジさんの顔がほころびました。
「うちのは塩味しかついてないけど」
と言って勧められたじゃこ天は、はがきの半分くらいの大きさで、一枚43円。安い!
「2枚……、いや、3枚ください!」
 食べてみると、味が濃くてとても美味しい。これと比べたら、今まで食べていたじゃこ天はなんだったのでしょう。まるで、いりこをすりおろしたかのような濃厚な味わいで、10枚くらいならペロリと食べられたかもしれません。


 あんなにいい天気だったのに、宇和島に近づくにつれて雲が増えてきました。やはり台風は確実に近づいているようです。
 16:41に今宵の宿である宇和島リージェントホテルに到着。こちらもなかなかレトロで、昭和感のあるビジネスホテルです。安い物件を探していると、時々こんな掘り出し物に出会えるのが楽しいのです。


 宇和島と言えば、鯛めしです。どこで食べようかと思いながら検索してみるのですが、そうしているうちに外は雨が降ってきました。遠くまで行くのは億劫です。
 そう思っていると、ホテルの2階にお店が入っているではありませんか。渡りに船とばかり、行ってみることにします。


 鯛めしを頼むと、係の女性が、
宇和島の郷土料理でございます」
と言って、嬉しそうに笑顔を見せてくれました。地元の自慢の料理を楽しみにやって来る旅行客を悪く思うはずがありません。


 前回愛媛に来た時に気に入った日本酒、野武士もいただいて、夜ごはんに大満足したのでした。
 にもかかわらず、部屋に戻ると、ついつい高知で買っておいた土佐鶴に手が伸びてしまいました。乾きもののつまみと一緒に美味しくいただきます。


 いよいよ明日はお遍路最終日。どこまで行けるかと考えながら、軽く計画を立ててみるのでした。