お出かけ日記ANNEX

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8/7(土) 初めてのお遍路 酷暑の四国一周の旅8日目~その1~

 今日はいよいよお遍路最終日。当然、八十八ヶ所の残り全部を1日でまわれるわけがありませんので、次回に持ち越しです。行けるところまで行くことにしましょう。
 ホテルを出ると、路面はまだ濡れているものの、昨日の雨は上がっています。まずは宇和島からほど近い、41番龍光寺を目指します。


 お詣りをして納経所へ行くと、
「今日はもう3人来ましたが、まだお経が聞こえませんなぁ」
と寺の方に言われました。こちらが、
「最近は心の中か小声での読経を進めているんですよね」
と思わず言ってしまったところで、寺の人と目が合ったのです。
 しまった。果たして自分は、ちゃんとこれをやっているのか。40か所以上の寺をまわりながら、一つひとつの寺に敬意をもってお詣りをしているのか。そんなことを問われた気がします。次の寺は、きちんとお詣りすることを心がけることにしましょう。
 次は42番仏木寺。仁王門をくぐり、最初に見えたお堂できちんと般若心経を読むことにします。信教の自由とはいえ、ここはお遍路のしきたりに従うことも大切です。


 しかし、よく見ると、このお堂に祀られているのは不動明王
「しまった。本堂でも大師堂でもなかったのか……」
 もしかするとここが、旅を変えるきっかけは始まっていたのかもしれません。
 納経帳に朱印をいただき、駐車場に戻って出発すると、駐車場を出るところで「ガリガリガリ……」と大きな金属音がしました。
「しまった! やってしまった!」


 車を降りて見てみると、左の前輪が駐車場の出口の石を乗り越え、その石がボディの下に挟まっています。どうにか脱出をしようとしてみるのですが、その石で車が浮いている状態になっているのです。ならばと、前輪に石を咬ませて脱出できないかとやってみるのですが、タイヤが回った時に石を飛ばしてしまうようで、どうにも歯が立ちません。
「大丈夫ですか?」
 昨日、37番岩本寺でも見かけた原付2種のライダーさんが声をかけてくれました。しかし、人間の力でどうにかなりそうにありません。
「ありがとうございます。なんとかします」
と答えると、彼は次の札所へと走って行きました。
 さあ、とりあえずは落ち着きましょう。こういう時は、まずはジャッキアップして車の下の石を外さなければなりません。車載のジャッキを探すのですが、最近の車はスペアタイヤを積んでいないせいもあって、ジャッキが搭載されていないようです。
「万事休す、か……」
 こうなったら、自分ではどうにもできません。JAFを呼ぶしかないかと途方に暮れていると、
「どうした?」
と、軽自動車に乗ったおじさんに声をかけられました。その軽自動車はずいぶん前に停まって、おじさんが誰かと話していたのは気づいていたのですが、話が終わって私の様子を見たようで、
「こりゃあ、ジャッキで上げんにゃあ無理じゃ」
と言いました。
 確かにその通り。でも、私の車にはジャッキがないことを伝えると、おじさんは、
「ちょっと待っとき。大きなジャッキ、持ってくるけん」
と言って軽自動車に乗り込み、
「2〜3分で帰ってくるけん」
と言いながら山の方へと走り去って行きました。
 果たして、おじさんは本当に現れるのでしょうか。もし戻って来なければ、その時にJAFを呼べばいい。そんなことを考えていると、ほどなくおじさんが軽トラに乗って現れました。荷台には、車載工具として入っていたパンタグラフ式のジャッキではなく、大きな油圧のジャッキと板切れがちゃんと載っています。
 おじさんのジャッキを借りて私の車の下に入れると、なんとか地面について車を上げられそうです。棒を借りてジャッキを操作しようとすると、おじさんはジャッキと車の間に板切れを挟むのを忘れません。そして何度も棒を上げ下げするうちに車が少しずつ持ち上がり、下に挟まっていたコンクリートのブロックが動くようになりました。最後は私が車を押して傾けて、ブロックとジャッキを外すことに成功。助かったのです。
 私がお礼を言うと、おじさんは、
「ここ、みんなやるんよ」
と、いつものことだと言わんばかりにそう言うと、ジャッキを手早く片づけて、まるで何もなかったかのようにさっと軽トラに乗り込みました。
「ありがとうございました」
 私がもう一度言うと、
「もし心配なら、どっかでちゃんと車の下、見てもらい」
と言って、走り去って行きました。
 お遍路を経験した人からは、奇跡的な話を聞くことがあります。中でも、いろいろな人が「お大師さまに会った」と感じているようです。
 大なり小なり、遍路旅の中で誰かに助けてもらう経験をしたお遍路さんは少なくないことでしょう。それを単なる偶然と言ってしまえばそれまでですが、それが自分自身を変えるきっかけになったとしたら、そこで出会った方はお大師さまなのかもしれません。
 よくよく考えてみれば、私はとてもラッキーでした。石に乗り上げたこと自体はラッキーとは言えませんが、積んであった石を崩しただけなのです。車も、走行に影響がないばかりか、見た目にも影響がない。何より、相手がいないので誰も傷つけずに済んでいるのです。
 旅をしながら、どこへ行っても一人でなんとかしてきたと驕り高ぶっていたのかもしれません。でも、それは大きな間違いで、無事に旅ができるのは誰かのおかげなのだということを教えてくれたのです。
 旅の中で、旅人は限りなく無力です。その場で生かされながら、貴重な経験をさせていただいているに過ぎません。それを「ありがたい」と思えるようになったのは、紛れもなく、あのおじさんのおかげなのでした。